タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

 クラシックなタリーズコーヒーの佇まいが残る、宮崎橘通り店。

カウンターのスポットに照らされて、足元の天然石タイルが濃紺に光っている。

「このタイルもさ、最初は全然ワックスが乗らなくって。」

そう語る目に、口元に、店への愛情が溢れている。オープンから15年経っても、色褪せない魅力。老舗寿司店を経営する会社が、かつてはベンチャーだったというタリーズコーヒージャパン(本部)と日本初となるFC契約を結び、街のコミュニティカフェに成長させるまでの軌跡について、話を聞いた。

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

 

  

−あの時を振り返って−

 

−鬼束さんは、オープン時の責任者だったのですよね。入社されたのはいつだったのですか?

 

鬼束「オープンの1年前、僕が23歳くらいの時です。村岡さんと街中でばったり会った時に「タリーズって知ってる?」と話があって。当時日本ではスターバックスの方が勢いがあって、自分自身はタリーズのことは知りませんでした。スペシャリティコーヒーという言葉もそこで初めて聞いて。それがタリーズとの出会いでした。」

 

−立ち上げを任されるという話を最初に聞いた時、どう感じましたか?

 

鬼束「できるかどうかは別として、純粋に、やってみたいと思いました。そんなチャンスを頂けるなら是非と。コーヒーはもちろん好きでしたが、飲食業が初めてだったので、固定観念なくやれたのが良かったのかもしれません。」

 

−オープン時に一番大変だったのはどんなところでしたか?

 

鬼束「その瞬間はもうほんとに記憶がないくらい(笑)走り抜きましたね。タリーズの理念である“その一杯に心を込める“、とにかくそのスタイルをどう伝えていくか。もちろん自分の研修に、東京で泊り込みのバリスタ修行をしました。

宮崎に戻って店舗アルバイトの募集をしたら、200人近く来たのかな?23歳の私が、全員と会って面接をして。そこから村岡さんと共に22人を選抜しました。」

 

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村岡「とにかく初めてのことで全てが手探り。開業準備室を作って採用したフェロー達の座学を行い、1日でも早くトレーニングに入らないといけないけれど店の内装工事がなかなか完成しない。店舗の内装が出来上がったのがオープンの1週間前で。当時こういうセルフスタイルのコーヒーショップが宮崎になかったから、フェローもイメージの持ちようがなくて。トレーニングの時間も限られているからとにかく大変だった。オープン直前になって、鬼束と“これでホントに大丈夫かな…?”みたいな話をしたのを覚えてるよ。」

 

鬼束「そうでしたね。さらにオープン当日最悪だったのが、台風が来たんですよ。しかも私、寝坊してしまって(笑)」

 

村岡「現場は騒然でしたよ。マネージャー(鬼束さん)が来んと。絶対逃げたよな?みたいになって(笑)」

 

鬼束「渋滞で車が全く進まないので、一度帰って車を置いて、土砂降りの中自転車で必死に向かってました(笑)今15年前を振り返ると、現場のことは全て僕に任せてくれていたので、村岡さんはヒヤヒヤしてたのではないかと思います。オープンしてからも、朝1時から2時3時まで店にいる、毎日その繰り返しで。大変ではあったのですが、学ぶこと、得るものもたくさんあった。そしてとにかく楽しかった。でも、そのすぐ後にバイクで事故をしてしまって。」

 

村岡「そうだったね。それでもうみんなすごく落ち込みました。オープンして最初の年末の忙しい時に彼がそういうことになって。高千穂通り店、都城店のオープンも間近に控えていた。そんな過密スケジュールの中で、“実はこういうことが起きて、でもみんなでやっていくしかないから、頑張ろうね”って話をスタッフ集めてしたんだけど、みんな何かこう…沈黙?誰からも返事がない、みたいな(笑)本当にハードでしたよ。

売り上げの面から見ても、初月に当時のタリーズコーヒージャパンが持っていた1ヶ月の売り上げ記録、1日あたりの売り上げ記録も塗り替えました。

イメージのないチームでやってるから、やはり次第に歪みも出てくる。それを修正する前にまた次の波がきてという繰り返しで、そこは随分悩んだところでした。1ヶ月経った頃、フェローに5項目くらいのアンケートに答えてもらって、“最後に一言“って項目があったんだけど、そのうちの1人の子が、“鬼束さんにもう少し愛情を持って接してもらいたいです、私にもコンアモーレ(愛を込めてという意味のフェローの合言葉)でお願いします”みたいなこと書いてて(笑)」

 

鬼束「いや、そうしたいのは山々だったんですよ(笑)。でも当時は、お金をいただいてコーヒーを提供しているということへの責任感が先に立ってしまって。1杯400円のコーヒーは決して安くないし、今の時代もうお弁当も買える。シェイク系のドリンクになると600円・700円とかの商品もあって。それで中途半端なものが来たら嫌だと思うから。あれから15年経って、自分としては次の目標をしっかり見据えてやる必要がある時期に来ているなと思っています。今はフェローもたくさん育っていて、任せられる人材もいる。未だに現場に入ることも多くて、走り続けている感じなんですけど、やはり私にとって、ここ(タリーズコーヒー宮崎橘通り店)が原点なんだなと思います。」

   

−カルチャーを体現するということ−

 

−今のようなカフェ文化が無かった時代に、宮崎でカフェを展開することに、難しさはなかったですか?


村岡「当時から新しいコーヒーカルチャーが、大きく育って行くってことはもう見えていたので。その中でタリーズというブランドが宮崎で生き残れるかどうかということは、もちろん一つの大きいカケではあるのだけれども、東京の本部やアメリカがどうとかいう前に、“宮崎のタリーズ”を絶対守るという精神性でやってきたつもりです。コーヒーカルチャーを自分たちがどう体現して行くか。僕は本当に、他のブランドとの比較とかはどうでもいいんです。カルチャーの真ん中にいる人は他のブランドのことなんて気にしてない。自分たちのコミュニティの形を店舗を通じて表現しようとしてるだけだから。

どういう場所が居心地がいいのかということは、時代とともに変わります。そこに時代の空気を読み解く感性が必要です。私にとってのタリーズ宮崎橘通り店は自分らしく“今の空気感”を表現できる場所。物理的な空間の話だけではなくて、そこに存在する人(お客様)の時間を、いかにデザインするか?が重要だと気づいた時から、「時間」「空間」「思い出」「感動」という4つのキーワードについて考え始めました。ずっと変わらずクラシックな空気の中で存在しているものももちろん否定はしないけど、一方で常に半歩先をどう行くのかということも考え続けることが大切なんです。」

 

−オープンしたての頃と今では、提供したいものが変化しているかと思うのですが、いかがですか?

 

村岡「もちろん、おいしいコーヒーを提供したい。でもその最高のコーヒーって味だけではないんだなっていうのに気づいて。色んな“時代のエッセンス”が入って本当の最高の一杯が生まれる。だから常に進化していたい。我々が一貫して表現したいものというのは、コミュ二ティそのものであって。一平が表現するタリーズはどういうものなのかということを考えるのをやめてしまうと、僕らがこのブランドをやっている意味がない。いわゆるナショナルブランドの中にありながら、独自性を持って進化したタリーズコーヒーが宮崎に存在するから面白いんじゃないかと思っています。」

 

−表現してきたもの、そして、少し先の風景− 

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−一平のタリーズが表現して来たものってどんなものなのですか?

 

村岡「どうなんだろう。毎年違うんですよね。当初と5年前と10年前と、表現したかったものは違う。今ここにあるタリーズは、数年前の僕が表現したかったものです。だから今の時代感の中ですごく居心地がいいとか、色あせないねって言ってもらえるのは嬉しいんだけど。それはなんかもう時代がそこに追いついてしまってるので、今度はまた少し違う、2年後の風景を表現できるような、今の僕らが考える新しい時代を感じる空間を作ってみたいとか、そういう思いはあります。」

 

−現場の方達は“店を守りたい”、当たり前にあるものとして“クオリティを保ちたい”とおっしゃっていました。今お二人のお話を伺いしたら、変わっていかなければいけないというふうに考えられているようで、少しギャップを感じたのですが、いかがですか?

 

鬼束「そうですね。変わっていく必要があるとは常々思っています。少し前までこの空間は非日常でした。でも今では日常になっていると思いませんか?そのステージにずっといるのは、違うんじゃないかと感じていて。変わらない日常の中で漫然と同じコーヒーを売るだけでよかったら、それならもう、コンビニで売っているコーヒーでいいじゃないですか。」

 

村岡「このコミュニティの中で半歩だけ先に行く少し先の風景を自分たちの顧客にちゃんと見せて行くことができるかどうかというのが、一平が表現するタリーズの “変わらない価値観”なんですよ。僕の表現したかった15年前の新しい価値観は、今ではもう日常になった。もうフェロー達もコーヒーのクオリティを語る必要ないじゃないですか。その点における顧客からの信頼はすでに深いものがある。みんなが伝統を守ろうとしてくれるのであれば、むしろこのコミュニティの中に何か小石を投げて、波紋を作るというか、そういった革新をやり続けることが僕らの表現するタリーズの日常性であり一平の伝統なんじゃないかな。あんまり難しく考えると楽しくないじゃない。フェロー達は楽しめばいいと思うんですよね。最初の大変さとか苦しみだとかは昔の話であって、黎明期に他にカフェもなくてまだコーヒーカルチャーが未熟な時代はもう過ぎ去った。今はマーケットも成熟してきて、いろんな形の多様性のあるカフェが生まれているので、もうマインドを解放していいんじゃないですかね。新しく変わり続けるコーヒーカルチャーの中で自由に表現をしていくというか。」

 

−では、“一杯のコーヒーにできること”とは、なんだと思われますか?

 

村岡「奥深いこと聞くね。変幻自在だね、コーヒーにできることは。」

鬼束「うーん…。僕はシンプルにきっかけの一つというか。この15年間で知り合った方々ばっかりなので。15年前からのお客様が未だに来てくださっていて。きっかけですかね、その人たちと出会えた。」

 

村岡「感謝とか言い始めたら、もうそれしかないじゃない。それ以外にないので。15年もやれるなんて、最初は思ってなかった。ただ、お客様や仲間を、驚かせ続けたいんですよね、やっぱり。僕らのやろうとしていることを感じて、そこに共鳴してくれる方たちが増えてくれると嬉しいなと思います。」

 

−変わったことはあるんですか?

 

鬼束「この15年で僕自身にもいろいろな変化があって。家族ができて、子供も2人、タリーズの使い方も変わって来ましたね。」

 

村岡「お客様と一緒に歳をとりたいって話をしたよね、昔。」

 

鬼束「15年経った今でも変わらず来てくれますもんね。タリーズだけではなくて、CORNERにもだし。本当にありがたいし、嬉しいです。」

 

村岡「“かっこいい“の評価基準が変わったかもしれないですね。昔は単純に内装を良くすればいい思ってたけれど、そうじゃないなと。15年前の自分が心地いい場所と、15年後の今の自分が心地いい場所が、重なっていれば最高じゃない?僕らが当時シアトルで見たタリーズは、大人な空気を漂わせるブランドで、すごくかっこよかった。どんどん新しいカフェが出てくる中で、新しいんだけど懐かしい、クラシックなんだけどエッジが効いていて、あのイメージをずっと求めている気がします。ここは日本のタリーズのクラシックミュージアムみたいなところで、当時日本にない家具や素材で創られている。それが日常の風景に溶け込んでいる宮崎はすごく面白いですよね。東京のタリーズファンがここに来た時に、もしかしたら斬新に思うかもしれない。」

 

鬼束「内装を見に来られた方も、かなりいらっしゃいましたよね。」

 

村岡「そうだね、当時はスターバックスが先行していて、タリーズコーヒーは数年後の'92年にシアトルで生まれた後発ブランドでした。'96年にスターバックスが東京に上陸して1年くらい遅れてタリーズが'97年にスタートして、共に進化を遂げていっているんですよね。当時の90年代のコーヒーカルチャーを一緒に作って来た、それはスターバックスだろうがタリーズだろうが関係ないんだけれども、そうゆう人たちがこの店に来た時に、ああ、この店はいいなって感じる空気感をずっと持っていたい。そして、今そうゆうお店であれることは、現場で頑張ってくれているフェロー達のおかげです。今では日本中に700店舗近くありますけれど、タリーズコーヒーのカルチャーを作ったのはこの店なので。時代を切り取るっていう部分では、他のお店に負けたくないですね。タリーズコーヒーが新しいコーヒーカルチャーを作っているんだっていう先進性を持ち続けたい。」

 

鬼束「シアトルの店、カッコよかったですね。」

村岡「カッコよかったよねー。」

 

−見に行かれたのは何年前だったのですか?

 

鬼束「ここがオープンした年ですね。本当に衝撃的でした。印象的だったのが、現地フェロー達のナチュラルな接客。」

 

村岡「そうそう。フレンドリーな、地域に溶け込んでいる感じ。シアトルでは店内売っている新聞と共にコーヒーとデニッシュ買って袋に入れてオフィスに行くんだけど、そんな日常を表現したくて、宮崎でも新聞を置くことにしました。カフェで電源を供給し始めたのもWi-Fi環境を整えたのも、うちが日本で最初なんですよ。そんなの今は、当たり前でしょ。それがない時代に、当たり前にやっていることが大事なのであって。じゃあ、次の時代の“当たり前”はなんだろう…みたいなことを、フェロー達と語り合いたいんですよ。実際それが数年後にそうなってたら、面白いじゃん。昔は、電源があると長居するからダメだ、とか言っていたよね。」

 

鬼束「なんか結構本部ともめたイメージがありますけどね(笑)」

 

村岡「たしかに!回転率が悪くなるからということで(笑)。でも、そんな経済合理性だけでは計れない街のインフラとしてのカフェの重要性が求められる時代を感じたから、僕らは独自で12年も前に整備導入したんだと思う。

でもまあ偉そうに言っても、カッコつけてもしょうがないですよね。なんとなく素敵な空間で、その場所がみんな大好きで、自分の指定席があって、あのおじさんいつもあそこに座っているとか。シアトルでは店内には靴磨きの椅子があって、夕方になると靴磨きのおじさん来ていました。さりげなく必要なものが揃っている、そうゆう空間を作りたいんですよね。」

 

鬼束「Wi-Fiもう12年前なんですね。早いですね。」

村岡「いや本当に。街の真ん中にある責任を僕らが自覚していたい。次の時代の街のシンボルにはなれないかもしれないけれど、ここがあってよかったなって思ってもらえるようなものを世の中に提案できるといいですよね。」

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

  

【編集後記】

連休初日、タリーズコーヒー宮崎橘通り店に1日張り付いて取材をした。常連さんや元スタッフ、出勤前のサラリーマン、受験生、お年寄り、カップル、家族連れ。こうして見ると、普段自分が客として使っていた時には見えなかった、“誰かの生活の一部”としての風景が顔を覗かせる。人々は口を揃えて“ここに来ると安心する“と言い、中には日に何度も訪れるという人もいる。そして彼らがこの店を語る笑顔には、なんのてらいもない。オープンから15周年を迎え、村岡さん、鬼束さんは共に、ここでまた”びっくり箱を開けたい”と考えている。これからも私たちの街のターミナルとして、“変わらずに変わり続けて”くれることに期待するばかりだ。

 

インタビュー・ライティング 倉本亜里沙

タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary 記念動画】

www.youtube.com

Team MUKASA-HUB/

制作: Time and Air Partners 
撮影:ワタナベ カズヒコ