MUKASA-HUBのこれまでとこれから-後編-

この街で、日本一のベンチャーヴィレッジを 

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__開けていて気持ちのいい立地ですよね。 

これからこの場所に、どういったビジョンを抱かれていますか? 

 

村岡「これからということを話すと、日本一のベンチャーヴィレッジを作ってみたいと思うんです。今は校舎だけの活用ですが、このグラウンドに40フィートコンテナを20台入れて、そこにも20社誘致する。今のテナントを合わせて30〜50の企業がここに立地していて、総勢300人くらいの人間が働いている。そういう場所にできるでしょ?向こう3年での実現を目指して構想を練っています。  革新的なベンチャーは東京からしか生まれないみたいな錯覚を根本から否定してみるというか。そもそも場所は関係なくて、別に渋谷のIT企業界隈からじゃなくってもベンチャーの流れは作れるんだよ。起業家が育つためには「ヒト、モノ、カネ」が必要だとすれば、起業家を支援するファンドも作るつもりです。東京や福岡のような都会に憧れた時代は、終わり。地方でもやれることを証明したい。 

 私自身の目標は食の世界ブランドをここから作り上げたい。マクドナルドの創設者レイクロックだってめちゃくちゃ田舎に1号店を作った。ケンタッキーなんて、ケンタッキー州でしょ(笑)。スターバックスもシアトルのはずれ、港町にあるパイクプレイスから始まりました。日本だけですよ、都会からしか”ブランド”が生まれないなんて未だに信じているのは。これからは地方の時代です。」 

 

自分で描いた未来図を、全力で信じる

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_そう言われると確かにそんな気もします。地方から世界を目指すということは可能なんでしょうか? 

 

村岡「まあでも、できるかできないかなんて結果論なので。日南の油津コーヒーがオープンしてちょうど3年になるんですが、あの朽ち果てたカフェを、少人数でお金を出し合ってリニューアルして、それが起点となってやがて町が変わっていきました。 油津商店街のカフェが再生できるなんて思っていた人が、あの頃何人いたか。ましてや、あの町が蘇ると信じた人は何人いたか。青島ビーチパークもプロジェクトスタートの時に関わらせて頂いていたのですが、あそこも今年3年目ですよね。  

 3年という時間は、そんなに短いものではなくて。その時間軸をイメージして未来図みたいなのものを信じられる人がいるかどうか。100パーセント「自分たちはできる」として信じる人がいて、それを支えようとする人たちがどれだけ集まるか。何度も繰り返しますが、まずは自分自身が起点となって責任を背負いつつ行動するということが大切だと思います。 

 

 ”できるかもしれないな”という空気が世の中を支配していくと、一気にその方向に向かって、そしてイメージは実現していく。例えば日南の木藤亮太くんのように、住む家を引き払って、油津に家族ごと移り住んで来て、その場所で24時間「木藤亮太を演じます」みたいな覚悟を背負った人がいたから上手くいく。街作りというのはそういうことですよ。 

責任を持って、しかし、失敗してもいいからやってみようよ。そういった、チャレンジに対して寛容な社会文化の醸成も大切なことかもしれませんね。 
 

 

__やはり覚悟というものがキーワードのようですね。カンブリア宮殿に出演されたとき、村上龍さんが”寿司屋の2代目がどうしたらパンケーキっていうものを思いつくのか考えれば考えるほどわからない”とおっしゃっていましたよね。経営者の方は感性やスピード感みたいなものが飛び抜けていると思うのですが、それもやはり”覚悟”があるから成り立っているのでしょうか? 

 

  

「いや、本当にそれだけだと思いますよ。覚悟を持って決断をする役職、それが仕事ですから経営者は。時には無茶だと思われても進まないといけない局面もやってきます。未来をイメージして、新しい道筋を創る、ということでもあります。どんなに難しくとも、組織を守るための判断を下すのは最後には一人ですから、時には孤独でもある。 

 うちの会社(一平)も、口蹄疫時には大きな影響を受けて傾きかけていた。僕は商店街で疫復興プロジェクトのリーダーをしていたんですが、その裏で自分の会社はすごく困窮していて。お金も回らないし、その後の3年間くらいはお金がないから領収書も切れなかったですよ(笑) 死んだ先代社長(父)から引き継いだのれんをここで絶ってしまうのかという、本当にギリギリのラインだった。でもそこで立ち止まって「困ったな、ダメかもしれないな」って終わってしまうのは違うと思いました。方法はなんでもいいんです。僕もそれで、仕方なくじゃないけど、とにかく必死に色んな方法を考えた。それで、九州パンケーキの開発にたどり着いたんです。とにかく”やってみること”そこからしか始まらない。 」 

 

__プレッシャーや不安に負けない方法というのはあるんですか?  
  

「よく聞かれるんだけどね。一国の大統領でも、小学生でも、不安の割合は一緒だと思うよ。”解消法”なんて、考えない。それはずっと、”共存"していくものだから」  

”プレッシャーと共存していく”私がその言葉の意味について考えていると、村岡さんのスマートフォンが鳴った。 聞きたいことはまだ山ほどあったが、時間切れのようだ。 

 村岡「まあとにかく、やってみればいいんだよ」 

まだまだ若い”私たち”を後押しするように、村岡さんが、いつもの笑顔で言った。 

彼が作ったこの街(コミュニティ)で、どれだけの未来図が形となっていくのだろうか。 

 

 
 

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村岡 浩司(むらおか こうじ) 

有限会社 一平 代表取締役(1970年3月26日 宮崎市生まれ) 

宮崎大宮高校卒業後、米国(COLORADO MESA UNIVERSITY/コロラド州)に留学。 

米国在学中に学生起業し、帰国後は小売卸業(輸入雑貨/アパレル)を営む。1999年より家業の寿司店「一平寿し」にて職人としての修行を積む。2004年 同社(一平)代表取締役(現職)に就任。「一平寿し」「タリーズコーヒー」「CORNER」をはじめ、多数の飲食店店舗を経営する一方、様々な地域貢献活動(まちづくり)、食を通じたコミュニティ活動にも取り組んでいる。 

2012年に地産プロダクト「九州パンケーキ」を発売開始。全国のスーパー、小売店(約600店舗)での販売を拡大し、今年1月には海外1号店となる「九州パンケーキカフェ台北富錦店(台湾)」をオープンすると予約の取れない人気店に。アジア全域でのグローバルブランドとしての展開を目指し奮闘中。 
 
『第1回地場もん国民大賞』金賞/『九州未来アワード』大賞/『料理マスターブランド』 受賞。カンブリア宮殿、夢職人、日経プラス10、日経ビジネス他 メディア出演多数。ローカルイノベーター55選/日本を元気にする88人(フォーブスJAPAN)に選出。 

 

  

 

 

インタビュアー:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙 

MUKASA-HUBのこれまでとこれから -前編-

 

 

私がMUKASA-HUBに到着すると、村岡さんがお客様を施設内に案内していた。 納期を控え完成にさしかかっている屋舎には、たくさんの施工業者が出入りしている。 少し埃っぽい暖かな風が吹く中で、その活気のある様子は、MUKASA-HUBという新たなコミュニティの鼓動のようにも感じられる。 

 

少し待った後に、腰をおろして話すのに適当な場所を探す。校舎裏へ回ると、広々としたグラウンドを見渡して、村岡さんがふいにこう言った。「3年で30社誘致して、全体で300人規模のベンチャーヴィレッジを作りたいんだ」。私は少し驚いてしまった。彼にとってもう、ここの完成はとっくに中間地点なのだ。持っていたペンと質問リストをしまって、彼の話に身を任せることにした。 

 

 

MUKASA-HUB連載企画 VOL.01  

MUKASA-HUBプロジェクト プロジェクトリーダー

有限会社一平/九州パンケーキ 代表取締役 村岡浩司さん に聞く

MUKASA-HUBのこれまでとこれから(前編)。

 

  

まちづくり」と向き合い続けて

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__そもそもは、九州パンケーキの配送センターのための物件を探していて、 

旧穆佐小学校に出会われたというお話でしたよね? 

 
 

村岡「そもそもの話をすると、僕は15年間、いろいろな場所でまちづくりに関わってきたわけで。  だから、何か新しい事業構想を組み立てる時でも、根っこは必ず地域創生に軸足がある。  

 地域をどう自分たちの事業で変えていくか、角度を少しだけ変えて、いかによくしていけるか。 その中で4年半前に九州パンケーキが生まれて、こうして全国に広がった。そして世界にチャレンジをしていく中で、 業容を拡大するためには起点となる場所が必要となってきた。これ(商品)を作っている人たちがどういうところで働いていて、どこで作られたものがどこから配送されて、どんな想いを持っているのか、そういうことを伝えるって大事だと思いませんか? 

 

 そんなことを考えている時に、ここに出会って。それで一目惚れして、買っちゃえって(笑)  

 

 僕が事業構想を組み立てるときには、 「生み出した利益をどう社会に循環していくか」、というところを常に根っことして具体的に持ち、その出口を見える化することが重要だと考えています。九州パンケーキを例に出すと、パンケーキミックスが売れることで、製造元である会社はもちろん、原材料を育てて供給してくださる九州各地の農家さん、製粉会社さん、ロジスティック、流通、小売...と、利益はつながっていく。そうした”ハッピーサークル”ができることで、地域の企業や人が継続的に潤っていく。僕は長年地域創生に向き合ってきましたが、この”循環する”ということが大事だと思うんです。 

 そして、やはり企業や地域の成長において一番大切な要素は「人」。キーとなる誰かがそこにいて、仲間が集い、みんなを巻き込んでどれだけ深くその事業や地域のことを考えるのか。 そういった起点となりうる人物をどれだけ大切に育てられるか。

 

  僕がこの学校をリノベーションすると決めた時、 多様な価値観と、主体的な行動思想を持った人たちが集まる場所にしようと考えました。私が社業で得た利益を地域に還流させる具体的なアクションがMUKASA-HUBです。つまり、やがて日本中、世界中で食される九州パンケーキをはじめとした弊社の事業で得た利益が地域を支えていく、そんな仕組みをここで完成させたい。」 
 

 

__拠点を作りたいと考えられて、そこから構想が膨らんで、という感じですか? 

 
 

村岡「まあ、買ってから1年半経ってるからね(笑)。初めて見てから2年以上。そう簡単に概念は生み出せないから、何度も何度も考えて、 一つのアイディアを検証し組み立てて、みたいな作業を途方もなく脳内で繰り返す。 投資して作っちゃったら崩せないから。 本当に一番やりたいことはなんなのか、それを見極めるために、それだけの時間がかかりました。」  

 

 

__大きい事業を始めるために、”何かを前に進めていく”ために。一番必要なものは何ですか? 

 
 

村岡「それは、最終的に”背負えるかどうか”、つまり自分が責任をとるかどうか。その一点のみです。 世の中PDCAとかって言うけど、変化の激しい時代に、 もう何十年も前にできたような経済用語に縛られているのはナンセンスだと思います。僕はPDCAじゃなくて、DCIがちょうどいい。つまり、DO(行動) が先で、CHECK(検証)そして、 IMPROVE(改善)このサイクルを繰り返す。 まずはDO(行動)。やると決めるたら行動することが先で、動くことで何らかの成果が付いてくる。 
 
 スピード感が半端ない成功した起業家たちは、こういう思考で事業を次々に立ち上げていく。 

 まずは「やってみよう!」と、ビジョンと共に覚悟をめることが先。やるって決まったら、行動して結果を恐れない。その分失敗も多いけれども、それを許容するベンチャー気質は大事だと思います。 もっとも、海外と比べたら僕ら日本人は心配性だから、”やる”か”やらない”かを決めるためのP(計画)を先にしちゃう。その結果8割くらいは”やらない”という選択をしてしまうわけだから、もったいないよね。 
 

 必要なのは、DCIのサイクルを繰り返していくこと。D(行動)するって決めた段階でP(計画)は絶対にするので、あまり難しく考えない。もちろん、それをやるためには、決断をする訓練が必要かもしれないね。決断の瞬発力を鍛える、というか。大学をどこにいくか?就職をどうするか?旅行先はどこを選ぶか?宿泊先は?今日の食事は?とか、僕からしたら全て同じ”決断”です。人生は全て決断の連続。だから決断の瞬発力を鍛えることで、DCIのサイクルは早くなって、人生は豊かになっていくと思うんです。 

 

 

__決断力って、磨けるものなのでしょうか?ここ高岡でやってみようと決断できた理由もお伺いしたいです。 

 

 

村岡「そうですね、決断の瞬発力は常に意識することで鍛錬できます。例えばレストランに入ってメニューを開いたら3秒で決める、カフェのカウンターで3秒でドリンクのオーダーを決める、これも立派な訓練です。迷いを排除して、判断のスピードを上げる訓練は日常でもできると思います。 

 
 ただ、ここでやろうと私が決めたのは、高岡町のこの空気とこの雰囲気ですかね。 

 

 裏の山には旧薩摩藩の東端の関所があったりして歴史的にも重要な場所なので。明治維新150周年の記念の年に、こうして出会ったのも運命かなと。九州から国を拓く。宮崎から世界を変える起業家を輩出する。そんな気概を持って取り組みたい。静かだし小川が流れてて、環境もいいでしょう(笑)意外と市内からも近いしね。」 

 

 

この街で、日本一のベンチャーヴィレッジを

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(後編へ続く)