タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

 クラシックなタリーズコーヒーの佇まいが残る、宮崎橘通り店。

カウンターのスポットに照らされて、足元の天然石タイルが濃紺に光っている。

「このタイルもさ、最初は全然ワックスが乗らなくって。」

そう語る目に、口元に、店への愛情が溢れている。オープンから15年経っても、色褪せない魅力。老舗寿司店を経営する会社が、かつてはベンチャーだったというタリーズコーヒージャパン(本部)と日本初となるFC契約を結び、街のコミュニティカフェに成長させるまでの軌跡について、話を聞いた。

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

 

  

−あの時を振り返って−

 

−鬼束さんは、オープン時の責任者だったのですよね。入社されたのはいつだったのですか?

 

鬼束「オープンの1年前、僕が23歳くらいの時です。村岡さんと街中でばったり会った時に「タリーズって知ってる?」と話があって。当時日本ではスターバックスの方が勢いがあって、自分自身はタリーズのことは知りませんでした。スペシャリティコーヒーという言葉もそこで初めて聞いて。それがタリーズとの出会いでした。」

 

−立ち上げを任されるという話を最初に聞いた時、どう感じましたか?

 

鬼束「できるかどうかは別として、純粋に、やってみたいと思いました。そんなチャンスを頂けるなら是非と。コーヒーはもちろん好きでしたが、飲食業が初めてだったので、固定観念なくやれたのが良かったのかもしれません。」

 

−オープン時に一番大変だったのはどんなところでしたか?

 

鬼束「その瞬間はもうほんとに記憶がないくらい(笑)走り抜きましたね。タリーズの理念である“その一杯に心を込める“、とにかくそのスタイルをどう伝えていくか。もちろん自分の研修に、東京で泊り込みのバリスタ修行をしました。

宮崎に戻って店舗アルバイトの募集をしたら、200人近く来たのかな?23歳の私が、全員と会って面接をして。そこから村岡さんと共に22人を選抜しました。」

 

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村岡「とにかく初めてのことで全てが手探り。開業準備室を作って採用したフェロー達の座学を行い、1日でも早くトレーニングに入らないといけないけれど店の内装工事がなかなか完成しない。店舗の内装が出来上がったのがオープンの1週間前で。当時こういうセルフスタイルのコーヒーショップが宮崎になかったから、フェローもイメージの持ちようがなくて。トレーニングの時間も限られているからとにかく大変だった。オープン直前になって、鬼束と“これでホントに大丈夫かな…?”みたいな話をしたのを覚えてるよ。」

 

鬼束「そうでしたね。さらにオープン当日最悪だったのが、台風が来たんですよ。しかも私、寝坊してしまって(笑)」

 

村岡「現場は騒然でしたよ。マネージャー(鬼束さん)が来んと。絶対逃げたよな?みたいになって(笑)」

 

鬼束「渋滞で車が全く進まないので、一度帰って車を置いて、土砂降りの中自転車で必死に向かってました(笑)今15年前を振り返ると、現場のことは全て僕に任せてくれていたので、村岡さんはヒヤヒヤしてたのではないかと思います。オープンしてからも、朝1時から2時3時まで店にいる、毎日その繰り返しで。大変ではあったのですが、学ぶこと、得るものもたくさんあった。そしてとにかく楽しかった。でも、そのすぐ後にバイクで事故をしてしまって。」

 

村岡「そうだったね。それでもうみんなすごく落ち込みました。オープンして最初の年末の忙しい時に彼がそういうことになって。高千穂通り店、都城店のオープンも間近に控えていた。そんな過密スケジュールの中で、“実はこういうことが起きて、でもみんなでやっていくしかないから、頑張ろうね”って話をスタッフ集めてしたんだけど、みんな何かこう…沈黙?誰からも返事がない、みたいな(笑)本当にハードでしたよ。

売り上げの面から見ても、初月に当時のタリーズコーヒージャパンが持っていた1ヶ月の売り上げ記録、1日あたりの売り上げ記録も塗り替えました。

イメージのないチームでやってるから、やはり次第に歪みも出てくる。それを修正する前にまた次の波がきてという繰り返しで、そこは随分悩んだところでした。1ヶ月経った頃、フェローに5項目くらいのアンケートに答えてもらって、“最後に一言“って項目があったんだけど、そのうちの1人の子が、“鬼束さんにもう少し愛情を持って接してもらいたいです、私にもコンアモーレ(愛を込めてという意味のフェローの合言葉)でお願いします”みたいなこと書いてて(笑)」

 

鬼束「いや、そうしたいのは山々だったんですよ(笑)。でも当時は、お金をいただいてコーヒーを提供しているということへの責任感が先に立ってしまって。1杯400円のコーヒーは決して安くないし、今の時代もうお弁当も買える。シェイク系のドリンクになると600円・700円とかの商品もあって。それで中途半端なものが来たら嫌だと思うから。あれから15年経って、自分としては次の目標をしっかり見据えてやる必要がある時期に来ているなと思っています。今はフェローもたくさん育っていて、任せられる人材もいる。未だに現場に入ることも多くて、走り続けている感じなんですけど、やはり私にとって、ここ(タリーズコーヒー宮崎橘通り店)が原点なんだなと思います。」

   

−カルチャーを体現するということ−

 

−今のようなカフェ文化が無かった時代に、宮崎でカフェを展開することに、難しさはなかったですか?


村岡「当時から新しいコーヒーカルチャーが、大きく育って行くってことはもう見えていたので。その中でタリーズというブランドが宮崎で生き残れるかどうかということは、もちろん一つの大きいカケではあるのだけれども、東京の本部やアメリカがどうとかいう前に、“宮崎のタリーズ”を絶対守るという精神性でやってきたつもりです。コーヒーカルチャーを自分たちがどう体現して行くか。僕は本当に、他のブランドとの比較とかはどうでもいいんです。カルチャーの真ん中にいる人は他のブランドのことなんて気にしてない。自分たちのコミュニティの形を店舗を通じて表現しようとしてるだけだから。

どういう場所が居心地がいいのかということは、時代とともに変わります。そこに時代の空気を読み解く感性が必要です。私にとってのタリーズ宮崎橘通り店は自分らしく“今の空気感”を表現できる場所。物理的な空間の話だけではなくて、そこに存在する人(お客様)の時間を、いかにデザインするか?が重要だと気づいた時から、「時間」「空間」「思い出」「感動」という4つのキーワードについて考え始めました。ずっと変わらずクラシックな空気の中で存在しているものももちろん否定はしないけど、一方で常に半歩先をどう行くのかということも考え続けることが大切なんです。」

 

−オープンしたての頃と今では、提供したいものが変化しているかと思うのですが、いかがですか?

 

村岡「もちろん、おいしいコーヒーを提供したい。でもその最高のコーヒーって味だけではないんだなっていうのに気づいて。色んな“時代のエッセンス”が入って本当の最高の一杯が生まれる。だから常に進化していたい。我々が一貫して表現したいものというのは、コミュ二ティそのものであって。一平が表現するタリーズはどういうものなのかということを考えるのをやめてしまうと、僕らがこのブランドをやっている意味がない。いわゆるナショナルブランドの中にありながら、独自性を持って進化したタリーズコーヒーが宮崎に存在するから面白いんじゃないかと思っています。」

 

−表現してきたもの、そして、少し先の風景− 

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−一平のタリーズが表現して来たものってどんなものなのですか?

 

村岡「どうなんだろう。毎年違うんですよね。当初と5年前と10年前と、表現したかったものは違う。今ここにあるタリーズは、数年前の僕が表現したかったものです。だから今の時代感の中ですごく居心地がいいとか、色あせないねって言ってもらえるのは嬉しいんだけど。それはなんかもう時代がそこに追いついてしまってるので、今度はまた少し違う、2年後の風景を表現できるような、今の僕らが考える新しい時代を感じる空間を作ってみたいとか、そういう思いはあります。」

 

−現場の方達は“店を守りたい”、当たり前にあるものとして“クオリティを保ちたい”とおっしゃっていました。今お二人のお話を伺いしたら、変わっていかなければいけないというふうに考えられているようで、少しギャップを感じたのですが、いかがですか?

 

鬼束「そうですね。変わっていく必要があるとは常々思っています。少し前までこの空間は非日常でした。でも今では日常になっていると思いませんか?そのステージにずっといるのは、違うんじゃないかと感じていて。変わらない日常の中で漫然と同じコーヒーを売るだけでよかったら、それならもう、コンビニで売っているコーヒーでいいじゃないですか。」

 

村岡「このコミュニティの中で半歩だけ先に行く少し先の風景を自分たちの顧客にちゃんと見せて行くことができるかどうかというのが、一平が表現するタリーズの “変わらない価値観”なんですよ。僕の表現したかった15年前の新しい価値観は、今ではもう日常になった。もうフェロー達もコーヒーのクオリティを語る必要ないじゃないですか。その点における顧客からの信頼はすでに深いものがある。みんなが伝統を守ろうとしてくれるのであれば、むしろこのコミュニティの中に何か小石を投げて、波紋を作るというか、そういった革新をやり続けることが僕らの表現するタリーズの日常性であり一平の伝統なんじゃないかな。あんまり難しく考えると楽しくないじゃない。フェロー達は楽しめばいいと思うんですよね。最初の大変さとか苦しみだとかは昔の話であって、黎明期に他にカフェもなくてまだコーヒーカルチャーが未熟な時代はもう過ぎ去った。今はマーケットも成熟してきて、いろんな形の多様性のあるカフェが生まれているので、もうマインドを解放していいんじゃないですかね。新しく変わり続けるコーヒーカルチャーの中で自由に表現をしていくというか。」

 

−では、“一杯のコーヒーにできること”とは、なんだと思われますか?

 

村岡「奥深いこと聞くね。変幻自在だね、コーヒーにできることは。」

鬼束「うーん…。僕はシンプルにきっかけの一つというか。この15年間で知り合った方々ばっかりなので。15年前からのお客様が未だに来てくださっていて。きっかけですかね、その人たちと出会えた。」

 

村岡「感謝とか言い始めたら、もうそれしかないじゃない。それ以外にないので。15年もやれるなんて、最初は思ってなかった。ただ、お客様や仲間を、驚かせ続けたいんですよね、やっぱり。僕らのやろうとしていることを感じて、そこに共鳴してくれる方たちが増えてくれると嬉しいなと思います。」

 

−変わったことはあるんですか?

 

鬼束「この15年で僕自身にもいろいろな変化があって。家族ができて、子供も2人、タリーズの使い方も変わって来ましたね。」

 

村岡「お客様と一緒に歳をとりたいって話をしたよね、昔。」

 

鬼束「15年経った今でも変わらず来てくれますもんね。タリーズだけではなくて、CORNERにもだし。本当にありがたいし、嬉しいです。」

 

村岡「“かっこいい“の評価基準が変わったかもしれないですね。昔は単純に内装を良くすればいい思ってたけれど、そうじゃないなと。15年前の自分が心地いい場所と、15年後の今の自分が心地いい場所が、重なっていれば最高じゃない?僕らが当時シアトルで見たタリーズは、大人な空気を漂わせるブランドで、すごくかっこよかった。どんどん新しいカフェが出てくる中で、新しいんだけど懐かしい、クラシックなんだけどエッジが効いていて、あのイメージをずっと求めている気がします。ここは日本のタリーズのクラシックミュージアムみたいなところで、当時日本にない家具や素材で創られている。それが日常の風景に溶け込んでいる宮崎はすごく面白いですよね。東京のタリーズファンがここに来た時に、もしかしたら斬新に思うかもしれない。」

 

鬼束「内装を見に来られた方も、かなりいらっしゃいましたよね。」

 

村岡「そうだね、当時はスターバックスが先行していて、タリーズコーヒーは数年後の'92年にシアトルで生まれた後発ブランドでした。'96年にスターバックスが東京に上陸して1年くらい遅れてタリーズが'97年にスタートして、共に進化を遂げていっているんですよね。当時の90年代のコーヒーカルチャーを一緒に作って来た、それはスターバックスだろうがタリーズだろうが関係ないんだけれども、そうゆう人たちがこの店に来た時に、ああ、この店はいいなって感じる空気感をずっと持っていたい。そして、今そうゆうお店であれることは、現場で頑張ってくれているフェロー達のおかげです。今では日本中に700店舗近くありますけれど、タリーズコーヒーのカルチャーを作ったのはこの店なので。時代を切り取るっていう部分では、他のお店に負けたくないですね。タリーズコーヒーが新しいコーヒーカルチャーを作っているんだっていう先進性を持ち続けたい。」

 

鬼束「シアトルの店、カッコよかったですね。」

村岡「カッコよかったよねー。」

 

−見に行かれたのは何年前だったのですか?

 

鬼束「ここがオープンした年ですね。本当に衝撃的でした。印象的だったのが、現地フェロー達のナチュラルな接客。」

 

村岡「そうそう。フレンドリーな、地域に溶け込んでいる感じ。シアトルでは店内売っている新聞と共にコーヒーとデニッシュ買って袋に入れてオフィスに行くんだけど、そんな日常を表現したくて、宮崎でも新聞を置くことにしました。カフェで電源を供給し始めたのもWi-Fi環境を整えたのも、うちが日本で最初なんですよ。そんなの今は、当たり前でしょ。それがない時代に、当たり前にやっていることが大事なのであって。じゃあ、次の時代の“当たり前”はなんだろう…みたいなことを、フェロー達と語り合いたいんですよ。実際それが数年後にそうなってたら、面白いじゃん。昔は、電源があると長居するからダメだ、とか言っていたよね。」

 

鬼束「なんか結構本部ともめたイメージがありますけどね(笑)」

 

村岡「たしかに!回転率が悪くなるからということで(笑)。でも、そんな経済合理性だけでは計れない街のインフラとしてのカフェの重要性が求められる時代を感じたから、僕らは独自で12年も前に整備導入したんだと思う。

でもまあ偉そうに言っても、カッコつけてもしょうがないですよね。なんとなく素敵な空間で、その場所がみんな大好きで、自分の指定席があって、あのおじさんいつもあそこに座っているとか。シアトルでは店内には靴磨きの椅子があって、夕方になると靴磨きのおじさん来ていました。さりげなく必要なものが揃っている、そうゆう空間を作りたいんですよね。」

 

鬼束「Wi-Fiもう12年前なんですね。早いですね。」

村岡「いや本当に。街の真ん中にある責任を僕らが自覚していたい。次の時代の街のシンボルにはなれないかもしれないけれど、ここがあってよかったなって思ってもらえるようなものを世の中に提案できるといいですよね。」

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

  

【編集後記】

連休初日、タリーズコーヒー宮崎橘通り店に1日張り付いて取材をした。常連さんや元スタッフ、出勤前のサラリーマン、受験生、お年寄り、カップル、家族連れ。こうして見ると、普段自分が客として使っていた時には見えなかった、“誰かの生活の一部”としての風景が顔を覗かせる。人々は口を揃えて“ここに来ると安心する“と言い、中には日に何度も訪れるという人もいる。そして彼らがこの店を語る笑顔には、なんのてらいもない。オープンから15周年を迎え、村岡さん、鬼束さんは共に、ここでまた”びっくり箱を開けたい”と考えている。これからも私たちの街のターミナルとして、“変わらずに変わり続けて”くれることに期待するばかりだ。

 

インタビュー・ライティング 倉本亜里沙

タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary 記念動画】

www.youtube.com

Team MUKASA-HUB/

制作: Time and Air Partners 
撮影:ワタナベ カズヒコ

 

 

新しい時代のワークスタイルとは

MUKASA-HUBトークセッション2日目

ゲスト:ユーケーブリッジ大矢 健治さん

ノーツデザインオフィス藤原祐介さん

ファシリテーター:MUKASA-HUBプロジェクトリーダー村岡浩司

 

 

大矢健治 株式会社ユーケーブリッジ 代表

日本での料理修業を経て92年に単身で渡独。現地で料理を学びながら25歳でオーナーシェフとして独立起業、その後はドイツを拠点に和飲食グループや貿易事業を展開。ドイツでの和食文化啓蒙では20年を超える事業実績を通して最も幅広い顧客層に和食文化を浸透させた日本人の1人として、そして欧州各国にて2014年より解禁された日本産和牛を各国に啓蒙しているパイオニア的存在としても知られている。

ユーケーブリッジ Webサイト http://www.ukb.co.jp/index.html

 

藤原祐介 NOTES DESIGN OFFIC代表 クリエイティブディレクター

 ブランディングに特化した商業施設開発や店舗開発、CI開発、WEB戦略、マーケティング戦略を行う。企業やホテル、飲食、小売、商品、海外ブランドに至るまで、幅広い分野におけるブランディングに精通。

NOTES DESIGN OFFIC Webサイト http://www.notes-design.co.jp/

 

新しい時代のワークスタイルとは

 

村岡「今日のゲストはMUKASA-HUB入居者のお2方、ノーツデザインフィス藤原さんと、ユーケーブリッジの大矢さんです。まずは簡単に自己紹介をお願いします。」

 

大矢「初めまして。ドイツから来ました大矢と言います。現在はヨーロッパで、日本食のグループを経営しています。浩司さんとの出会いは、宮崎で起きた口蹄疫被害がきっかけでした。僕には都城で繁殖農家を営んでいる親戚がいて、当時被害が拡大していく中、都城は最後の砦と言われていていました。彼らが地元で戦っていることを知り、「宮崎と関わりを持たず、遠く離れたところで戦って来たが、このままでいいのだろうか?」と考えるようになりました。

ミュンヘンは食肉加工がとても有名で、オクトーバーフェストなどでも知られています。食肉加工の歴史は700年ほどあって、それに対して水産加工の歴史は100年もないんですよ。日本は全く逆で、水産加工の歴史は六百何十年あるのですが、食肉加工の歴史は100年ほどです。もしかしたら僕らが持っている食肉加工のノウハウを宮崎に持っていくことで、口蹄疫からもう一度立ち直る手伝いができるのではないかと考えました。それで宮崎の情報を集め始めて、浩司さんの活動を知ったんですよね。

 

ちょうど街市(まちいち)の第一回目の時宮崎に戻っていたので、見に行きました。そしたら屋台は出ているんですが、まだ認知度が低かったので、人もまばらでしか歩いていなくて。でもその角にCORNERという店を見つけました。浩司さん達がニコニコ笑いながら、夢を語ってるんですよ。今日はこうでも、いつか絶対に一番街を人で溢れかえるような場所にするんだっていう、確信みたいなものが見えて、僕にはCORNERという場所が輝いて見えました。この人だったらと思い、手紙とお土産だけ置いて、ドイツに戻りました。その後Twitterで連絡を取らせていただいて。」

村岡「そうそう、でもあのサプライズは、僕が女の人だったらころっといってましたよ(笑)本当に運命的な出会いだったなと思います。では続いて藤原さん、お願いします。」

 

藤原「初めまして、ノーツデザインオフィスの代表をしております、藤原と申します。事業家をデザインでサポートする仕事をしています。宮崎の気候と人柄、あと村岡さんにお会いしてその気概に男惚れをいたししまして、この場所に参加をさせていただいた次第です。」

 

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村岡「ありがとうございます。具体的には、どのような仕事をしていらっしゃるのですか?」

 

藤原「はい。具体例を挙げると、8月にボルボという自動車メーカーが、日本のマーケットを広げるため、青山に新しいショールームを作ります。そこで車の販売をするだけではなく、スウェーデンの文化・ボルボのブランド価値を体験してもらうためのコンセプトワークをしています。そのカフェは日本のどの事業者とコラボレーションすればより“伝わる“ものを作れるのか。そういったブランドシナジーを計画したりしています。あとは海外のブランドが日本に入って来るお手伝いなどもしていますね。」

 
世界とつなぐ”どこでもドア”

 

村岡「宮崎にいると、東京とか世界が遠く感じられることもあるかと思います。MUKASA-HUBにオフィスを持とうと思った理由を教えていただきたいです。」

 

大矢「ユーケーブリッジという会社は、僕と実の弟で立ち上げました。僕は食を中心に、弟は舞台のプロダクションを中心に活動をしています。彼は年間約500公演以上行なっていて、AKB48やソニーミュージック、ジャニーズなど、様々なアーティストと仕事をしてきました。

 

僕らは小さい頃から、将来は2人で一緒に、誰かを笑顔にしたり、幸せにできたらいいねという話をしていました。彼はエンタメ畑で、僕は食畑で、全然違うように見えますが、久しぶりに会ってみると、お互い話していることが全く一緒だったんですよ。食とエンターテイメントをもっと融合させて、人が考えないことやろうと、2人で会社を作りました。去年熊本の震災があった時にベルリンにミシュランシェフとか音楽家の人とか、世界中の大使を集めて復興ダイニングを開催したことで、チューニングがあって来たような感じがしていて。そして去年浩司さんからMUKASA-HUBのことを聞いて、どこでもドアの扉をここに作ろうかな、と。食の世界であれば、16カ国のネットワークに信頼ができる方々を胸を張って紹介できます。ここに入居されている方や、これからここの扉を叩く方と、共に作り上げていけるような存在になれればと思って入居しました。」

 

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村岡「九州とヨーロッパを繋げていく。地域のプロモーションとか、食材プロモーションって“個人では出来ない”ことなのではないか、という思い込みが地域にあって、それでみんな行政に乗っかってやっています。みんなで足並みをそろえてお願いします、という風潮があるんだけどそんなに世界は甘くないわけで。此処に“どこでもドア”があればいつでもノックして、相談したりできますよね。藤原さんはどうですか、宮崎にオフィスを作る意義を教えてください。」

 

藤原「どこでもドアの話と繋がるのですが、我々も世界各国とスカイプミーティングで仕事を進めているので、ある特定の場所である必然性がないというか、場所を選ばなくなった時代だなとすごく感じています。人が動くどこでもドアではなくて、見えるどこでもドアは世の中に増えて来ている。その中で、どこに身を置いて、どこを拠点として働いていくかということを考えた時に、私は妻が宮崎出身ということ、そして村岡さんのアツさと、あとこの空気感というか、流れている時間の感じに惹かれました。」

 

村岡「そうなんですよ。実際に高岡町に入ると急に空気が、酸素が、濃ゆくなる感じ(笑)。」

 

藤原「はい、妻のお義父さんに、“そんなに東京で活躍してるんだったら、宮崎でも何かやりなよ”と言われてはいたのですが、今回こうゆうご縁をいただいて、土地や施設ができたストーリーにもとても共感して。入居は即決でしたね。」

 

村岡「ありがとうございます。藤原さんが来てくれて、本当に嬉しいです。ワークスタイルの多様性という面から考えても、ノーツデザインさんはすごく面白いんですよね。色んなところにクリエイターがいたりして。今は何ヶ所くらいにいるんですか?」

 

藤原「今代官山・幕張・ホノルル・メルボルンと、全部で4箇所ですね。」

 

村岡「ホノルルにオフィスを作ったのは、自分が行きたいから?(笑)」

 

藤原「まあ少し公私混同している部分があるのは、認めます(笑)ただホノルルでもビックプロジェクトをたくさん動かしていて。あと、石垣島でリゾートホテルをやっているのですが、正直ホノルルと石垣島はあまり仕事する気になれない。空気感が働く気になれないんですよね。でもここだったら、ちょうどいい緊張感と、太陽が沈んだら家に帰ろうっていう気持ちで働ける感じがすごくするんですよ。健康的に働けそうだなと思っています。」

 

この時代のワークスタイル

 

村岡「コワーキングはおそらくこれから日本中に増えて行きますが、その概念自体があまり定まっていなかったように思います。先日、ロサンジェルス・サンフランシスコ、そしてシリコンバレーにも何十年かぶりに行く機会があって。そこでみたもので、ここの運用に反映した部分は、運営の時間です。朝から晩まで遅い時間まで開けて日曜日もやろうと思っていたのですが、シリコンバレーのコワーキングで日曜日空いているところは少ないんですよね。そもそも日曜にまで働くっておかしい。夕方まで働いて、それからの時間は地域でパーティーに参加してたりとか、ビジネスコンテストに行ったりとか、“人に会う時間に使うべき”という感覚だった。ヨーロッパではどうですか?コワーキングで人が集って仕事をする文化はありますか。」

 

大矢「EUが統合されてからはすごく増えましたね。それまでは一つの空間に当たり前にドイツ人しかいなかったのに、当たり前に様々な国の人たちが周りに現れ始めて。単純にそういう人たちが集まるスペースや、ゲストハウスも増えたように思います。」

 

村岡「MUKASA-HUBも、1、2年していくと、2ヶ国語3ヶ国語飛び交っていたり、半分くらい言語が英語になっていたり。そうゆう風になると本物になるかもしれないね。」

 

藤原「僕の知っている事業家で成功した人は、やはりそういう環境で種をもらったそうです。色んな国の人が集まって話してくる不便さとか、利便性、考え方・出会い・つながりがあって。そこから事業が生まれて、成功されている方もすごく多いので、そんな予感をこの場所にも感じています。」

 

村岡「東京にずっといたクリエイターたちが、この数年間、“東京じゃなくてもいいんじゃないか”と言い始めたのをたまに聞きます。マーケットとしては世界有数だけど、むしろ東京面白くないんじゃないかみたいなことを最近聞いたりするんですよね。なぜなんでしょうか?」

 

藤原「そうですね、そういう話はよく聞きます。東京における公園のあり方なども変わって来ていて、緑を求めているのがすごくよく分かる。地方に行きたがる人は増えてますね、週末疎開みたいな感じで。(笑)」

 

村岡「最近は若いITのベンチャー企業が、日南の油津商店街にも1年間で11社くらい入ったりして、地方の環境のいいところにサテライトオフィスを置くという流れがありますね。」

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藤原「私が感じていることは、自ら事業されている方は自分たちの意思で動くことができるので、拠点がどこであってもインフラが整っていれば仕事ができるんですよね。私は自分の会社のことを“スーパーお手伝いカンパニー“と呼んでいるのですが、我々のような仕事をしていると、クライアントによって時間軸が全く違います。それは時差ではなくて、会社や人ごとのスピード感。”すぐ“の時間が2秒の人もいれば来週の人もいる。クリエイターが距離を超えて仕事をする上で、そこが一番問題だなと思っていて。その中で、我々が今回このMUKASA-HUBに拠点を構えたのは、クライアントと繋がるための拠点はすでにあるので、さらにこの場所をセカンドハブとして使いたいと考えたからです。ここで過ごすしっかりとした豊かな時間をクリエイティブに当てて、ガチャガチャしたことは東京でやるっていう(笑)より質の高いものを作る体制としては非常にいいと思っています。」

 

村岡「“スーパーお手伝いカンパニー“面白いですね。相手のサービス、顧客の方の要求する時間軸にこちら側が合わせるというのは、できそうでできなかった斬新な考え方のような気がします。健治くんは、ドイツで生活していて移動する時間も多いので、時間の調整って難しいのではないですか?様々なクライアントを抱える仕事ですよね?行政が相手だったり、企業が相手だったり。」

 

大矢「そうですね、今は年間で300回くらい飛行機に乗っていますし、難しい部分もあります。僕はこのMUKASA-HUBをセラーだと考えています。今は西麻布に事務所があり、ミュンヘン・パリにも拠点を構えていますが、そこでキャッチしたものを繋いで、このセラーで熟成させたいんですよ。」

 

村岡「ワインセラーのように?いいですね。例えばここに100人くらい、違う事業領域で仕事をしている人間を集める。そこで議論をして、どういう掛け算ができるのか考える、そんなイベントもできたらいいですね。プロフェッショナル大矢健治のフィルターを通した、面白い企業もたくさん九州にあるわけなので。産地の人、加工の人、それを一堂に会して、どうやって“九州という一つの船”に乗って海外に発信していけるか。というのを考えることが必要になってくるのではと考えています。」

 

大矢「そうですね。以前フランスに、日本のイチゴ農家の方達が輸出の話を持ってこられたことがありました。彼らは“私たちのイチゴは世界一甘いんです”と仰っていて、確かにそのイチゴはとても甘く、美味しいのです。でも僕が紹介したフランスのイチゴ農家の方に食べて頂くと、 “確かにあなたの作ったイチゴは甘い。比べて私のイチゴは少し酸っぱいけれども、この甘酸っぱさの中に私たちの遺伝子が全て含まれているんですよ”と。子供達の時期からずっと食べ続けたその地域の味がある。食文化というものはそういうものなのですよね。」

 

 

村岡「自分たちは世界最高だと思っていても、場所が変わればその土地に根付いたものがありますからね。」

 

大矢「僕たちがこういう場所で話をすることで、一歩その新しい部分のエッセンスも考えに加えていただきたい。せっかく生産者として、クオリティの高いものを作っているのだから、それが無駄になってしまわないように。」

 

村岡「九州や宮崎にも、表に出る人・出ない人含めてですが、素晴らしいクリエイターの方がたくさんいます。そういう人が一堂に介して、みんなで九州全体のクリエイティブの質を上げていくことができればいいなと。ボトムアップというよりは上をどんどん引き上げていくことができないですかね?」

 

藤原「十分できるかと。現在進めている仕事の中で、サントリーの響というブランドのブランディングをしています。産地を回って生産者の想いを聞いていると、本当に日々大変な仕事に実直に、取り組まれていることが分かります。でもそれが消費者に伝わっていないことがとても多くて。今後、僕からもその“地域の想い”の部分を情報発信していきたいと思っています。」

 

村岡「これからここにいろんな活動家が集まってくると思います。年齢性別国籍問わず面白い空間にしていきたいので、是非みなさん、一緒に作っていきましょう。本日は本当に、ありがとうございました!」

 

 

 

ライティング:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙

“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていく

MUKASA-HUBレセプションパーティー

トークセッション1日目 

ゲスト:

CMディレクター今村直樹さん

クリエイティブディレクター田中淳一さん 

 ファシリテーター

MUKASA-HUBプロジェクトリーダー 村岡浩司 

 

今村直樹

1954年生まれ、岐阜県出身、CMディレクター。東北芸術工科大学映像学科教授。上智大学新聞学科卒業後、サン・アドなどの広告制作会社を経て、1988年に独立し、今村直樹事務所を設立。2002年よりCM制作者集団・ライブラリーを主宰している。サントリーリクルート資生堂花王、ライオン、JR東海JR東日本トヨタ、日産、メルセデスベンツ、味の素、ソニーパナソニックなど、数多くの企業のテレビコマーシャルを企画・演出してきた。ACC賞、ニューヨークADC 賞、消費者のためになった広告賞最優秀賞など受賞多数。最近の代表作に、第一生命・ダイワハウス協和発酵キリンジャパネットたかたなどの企業広告、マスターカードpricelessシリーズ、シャープアクオス住友生命などがある。2011年、早稲田大学大学院公共経営研究科を卒業し、地域活性化のための広告にも目を向けている。

https://www.facebook.com/naoki.imamura.12

田中淳一

宮崎県延岡市出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業、旭通信社(現ADK)入社。ほぼ全業種の大手企業で多くのキャンぺーンを担当し、2014年10月退社。同年、クリエイティブ・ブティックPOPS設立。現在、全国15都府県以上で自治体やローカル企業のブランディングやプロモーションを担う一方、大手企業やローカル企業のグローバルコミュニケーション、GOOD DESIGN EXHIBITION2015のクリエイティブ・ディレクション、長編コンテンツの脚本なども手がける。Spikes Asia、ADFEST、NY festival、BDA、short short film festival & Asia、ACC賞、日経広告賞、毎日広告デザイン賞、消費者のためになった広告コンクール、トロント国際映画祭公式上映など国内外受賞歴、国際広告祭の審査員歴、各地の大学や公共機関などでの講演も多数。

http://pops-inc.jp/about/

 

 

 

MUKASA-HUB連載企画 VOL.02  

今村直樹さん・田中淳一さんに聞く

“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていく
〜これからの地方ブランディングに求められること〜

 

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村岡「九州パンケーキというのは非常に特殊な成長の仕方をしてきたブランドかもしれません。実はこのブランドが生まれた時、現在のロゴや映像はできていませんでした。そのまま未完成で発売して、後からロゴマークを刷新したり映像を作りマーケットに発信していきました。面白い流れですよね。当時のことも振り返りながら、お二方を紹介したいと思います。」

 

 

今村「みなさんこんにちは。まずは村岡さんMUKASA-HUBスタートおめでとうございます。私は30年以上、CMデイレクターをしてきました。今は東北の山形にある東北芸術工科大学というところで映像学科の教授をしています。ご縁があって、九州パンケーキのCMの制作をさせていただきました。MUKASA-HUBの映像も、あと数日で第3弾が完成します。そちらの制作もお手伝いしました。よろしくお願いします。」

 

 

田中「村岡さんおめでとうございます。田中淳一といいます。僕は延岡出身で、しばらく東京の広告会社に勤めていました。2年程前に”ローカルソーシャルグローバル”がコンセプトの、“POPS”という会社を立ち上げ、全国の自治体のブランディングをしています。今村さんとは芸工大の非常勤で一緒に授業をさせていただいています。」

 

 

村岡「ありがとうございます。九州パンケーキを語る時に、今村直樹という人間なしでは語ることができません。このブランドは4年半前に誕生したのですが当時は売る場所がありませんでした。でも一度食べていただければ必ず気に入ってもらえると確信があったので、発売を先行して色々な方にお配りしました。その中の1人が今村監督だったんですね。僕ははっきり覚えているんですが、1月5日、夕方の6時くらいにすごく想いのこもった、長文のメールが届いていて。その文面の最後に、「CMを作りましょう」と書いてあったんです。すごいなぁとは思ったけれどとんでもない、CMなんか絶対に無理だと思いました。なぜなら、資金は開発で全て使い果たしてしまっていたからです。九州パンケーキは、口蹄疫新燃岳噴火の直後で、一番苦しい時期に生み出したものでした。しかし今村さんは、”オフコマーシャル”というものがあるということを教えてくださいました。今村さん、オフコマーシャルについて話していただけますか。」

 

-オフコマーシャルという考え方-

 

今村「はい。通常CMにはクライアントがいて、予算があって、テレビで放送する計画があって、広告全体のプランがあります。その流れをまるごと逆にしたのがオフコマーシャルだと僕は説明しています。僕がいいと思うクライアントを見つけて、予算の面も含め相談しながら作っていく。ちょうどその頃にYoutubeが登場してきたので、なんだ、タダでオンエアできるじゃん!ってなって(笑)それに映像には制作に関わった人の気持ちを一つにしていく力があるので、そうゆうところも含めて、オフコマーシャルは面白い。最初は東京の小さなファッションメーカーから初めて、2本目にシャボン玉石鹸という北九州無添加石鹸、3番目に長野県小布施町にある一市村酒造場のCMを作りました。全く予算のないところから資金を捻出してもらったり、あとから支払ってもらったり。僕が出したこともありましたね。そして4本目に始めることになったのが九州パンケーキという経緯でした。」

 

村岡「そうですね。当然もう発売はしていたのですが、監督からこれを全国で売るにはロゴが野暮ったいし力がないので、パッケージを思い切って変えませんか?と提案されたんですよ。無茶苦茶ですよね?(笑)資金のない中でやりくりして、すでにラベルも作っていたので少し考えましたが、どうせやるからにはということで、日高英輝さんに依頼して、素敵なロゴを作って頂き、すべて刷新しました。そこから1年半かけて九州中を旅して、このコマーシャルを作りました。

 

https://youtu.be/Z1vmuM3P-4I

Happy Pancake編

 

https://youtu.be/eoWr-DE1FHA

インタビュー編

 

村岡「僕はなにか壁に当たった時、分岐点に立った時に、このCMを見てイメージをすり合わせて行くようにしています。実はこのオフィス(MUKASA-HUB)を作ろうと思ったのも、以前の少し手狭なオフィスでスタッフが配送作業をしている風景を見て、違和感を感じてのことでした。つまり、九州パンケーキ的な働き方を社内にも浸透させたいと。先にイメージ(映像)を作って、僕はそこに存在する世界観に合わせていく。そうゆう不思議な育ち方をしたブランドです。田中さんは東京の第一線で仕事をしながら地域でも活動されていますが、どういった想い・考え方で地元に戻っていらしたんですか?」

 

-これからの地方ブランディングに求められること-

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田中「長い間東京で映像を作ってきて、“もう僕以外の人たちでいいんではないのか“という想いが強くなりました。僕は地方のために映像を作って、その場所で必要とされる存在でいたいな、と。色々なところを回って制作をしていて、今は非常に精神的には健全な状態で仕事ができています。」

村岡「たくさん作品がある中で、今日は田中さんの地元、延岡の東九州バスク化構想Special Movieを見ていただきたいと思います。」

 

https://youtu.be/Bby4uxHu6sk

東九州バスク化構想 Special Movie

 

 

村岡「いやぁ、延岡に行きたくなりますよね。プロ同士が聞けないだろうから聞いちゃいますけど、今村さんはこのMovie、どう見られますか?」

今村「僕は最近ムービーデザインという言い方しているのですが。映像を作ることもデザインですが、ただ面白いということだけではなくて、ロゴへのこだわりや“バスク化“という言葉を見つけてきたところが素晴らしい。延岡は海の幸・山の幸が豊かなところなのですが、それをバスク化という言葉で方向づけて、全体を巧みにデザインしている。演出がどうっていうところもあるとは思うのですが全体のプランニングがやっぱり巧みですよね。」

 

村岡「田中さん、今回改めてふるさとを見て感じたことはありましたか?」

 

田中「そうですね。“食でやりたい“と延岡市の方からは言われていたのですが、延岡、食、有名だっけ…みたいな(笑)でも調べてみたら実はたくさんあって。しかし食で町興しというのは、前例も多いので難しいんですね。色々考えて、海の上にレストランを作ったり、他ではできないことにチャレンジしました。実はこの仕掛け(いかだ)も宮崎の看板制作会社にお願いしたのですが、地元の人を巻き込んでいくと、そこにノウハウが蓄積されていくんですよね。そういうことも改めて実感できました。」

 

村岡「最近、地域ブランディングとかそうゆう言葉を耳にする機会が増えているかと思いますが、そのことについてどうお考えですか?」

 

田中「そうですね、再生回数100万回とか、ネットでの再生回数を気にされる方が多いと思うんですが、一番気をつけているのは、地元の人が悲しい気持ちになる動画は作らないということです。どんなに目立っても面白くても、単なる話題だけになってはダメ。そこは大事にしたいなと思っています。」

 

今村「行政中心に映像で発信するのは1種のブームと言ってもいいかもしれません。そこで危惧することが2つあって、1つが継続性です。行政の担当者は3年ごとに変わってしまう。バスク化計画という旗を上げて形にしていくには、10年20年かかると思うのですが、それできちんと継続していけるのか?というところです。あとは、再生回数を指標にするのは危険だということ。僕はたった一人でも、感動してくれた方がいればいいと思っています。100万人にではなく、1人の心にしっかり響く映像を作りたいなと。一番身近な厳しい批評をする人に“何このCM?”っていわれたらダメだと思うんですよね。ものがたくさん売れるということより、身近な人が喜んでくれるとかそういうことをもっと大事にしていかないと。数字、アクセス数が上がればいいという風潮はどうなんだろうって思いますね。」

 

村岡「一人の心に刺さることが大事だということは今村さんにずっと言われていて。本当に数ある今村作品の中で、僕自身も作品であり九州パンケーキも作品だと勝手に思っています。このCMの曲はアンサリーさんという東京のシンガーが、映像からイメージして作ってくれました。これが我々のカフェで流れていて、お客様も1時間後には口ずさみながらかえるくらい、たくさん聞かれるようになっていて。今村さんが作っていただいた九州パンケーキの映像は、お店に来てくださるお客様の潜在意識に刺さる、そうゆう作品になってくれたんじゃないかなと思います。」

 

今村「嬉しいです。村岡さんはこのCMが九州パンケーキを育てたとおっしゃいますが、僕は逆だと思っています。九州パンケーキが生まれた時点でもう全部完成していたと言っても過言ではない。九州7県の素材で作るという考え方がもう全てなんですよね。僕のプランニングでもなんでもなくて、村岡さんの商品の発想なので、そのまま素直に形にしていけばいいと考えながら作りました。」

 

村岡「ありがとうございます。客観的に考えていくと面白いのは、〇〇連携とか6次化とか地域商品を作ろうとする時にどうしたら東京で売れるか?ということを先に考えがちなんですよね。でもそうではなくて、ストーリーをどう表現したいのかという部分に主軸を置いて考えるのが正しい。うちの場合は母体が飲食なので、食卓で笑顔の時間を作りたいというシンプルな思いがあって。そこからどうやってマーケットに届けていくかという手段を当初は僕らは持ち得ていませんでした。が、これからはここにいるみなさんにも更に道を開いていただけると期待しています。

せっかくなので、質問を受け付けたいと思います。てげツーの長友さん、何かありませんか?』

 

長友まさ美さん「ありがとうございます。九州から世界にこんな面白いことが生まれるんじゃないか、というアイデアがあったら是非教えてください。」

 

今村「はい、一つは、地域の映像を作る時に、いいものを作るために東京のスタッフと地域に乗り込んできていたのですが、これからはできるだけ地域の人の力を活用していこうというところです。そうゆう意味では今回Time&Air Partnersさんと映像を作っているし、今後もご一緒できたらいいなと思っています。それから、村岡さんと九州ブランド研究所という構想を練っていて(笑)九州パンケーキのようなブランドを素晴らしいアイデアで生み出そうとしている若い人、ベテランの人、いると思うんですよね。おっ!て思うものがあれば、それを育てる、映像を作る、ロゴを作る、パッケージデザイン一緒に考える。なんでもいいので、東京でやって来たスキルをもっと地域の志のある人のために活用する、一緒に作っていける、そうゆう基地みたいなものを作りたいという思いがあります。」

田中「日本には、各地に現地に根ざしたものづくりのスキルもあるし伝統もあります。そこに足りないのは物語作りで。“ものづくり”は一流だけれども、それを“ものがたり“として”魅せる”ことがあまり上手じゃなかった。客観的に見ると“九州パンケーキ”はもう、名前自体がストーリーなんですよね。“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていくことが、これからの地方には非常に求められていく部分なのではないかなと思っています。僕らのような職(クリエイテイブデイレクター)の人間が、地方に出向くのも限界があるので、地元にもっとそういった人材が生まれるべきです。アートディレクターやコピーライターもそうですし、そこからクリエイテイブデイレクターが出てくるというようなことが必要です。MUKASA-HUBからもそうゆうきっかけが生まれてくると思いますので、もちろんお手伝いしますし、ここが基地になってクリエーターが生まれていく場所になってほしいなというふうに思っています。この場所が、宮崎が発展する一つのきっかけになるんじゃないかなと思います。」

村岡「ありがとうございます。ところで九州ブランド研究所(注)、今日からスタートということでよろしいですか?」

今村「もちろんです!」

村岡「CM業界のレジェント、クリエイテイブの巨匠、お2方が揃って、ここにいらっしゃる方たちだけでも、本当に面白いものが生まれるんじゃないかなと思います。人とか地域とか物とかいろんなものが生まれる予感がしますね。引き続きMUKASA-HUBを、よろしくお願いします!」

 

 


注:九州ブランド研究所

CMディレクター今村直樹さんが主催する、九州の良いもの、こと、人、地域を元気にする「映像を軸とするクリエイティブの力で、地域の課題を解決する」プロジェクト構想。

 

 

 

 

ライティング:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙 

 

 

MUKASA-HUBのこれまでとこれから-後編-

この街で、日本一のベンチャーヴィレッジを 

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__開けていて気持ちのいい立地ですよね。 

これからこの場所に、どういったビジョンを抱かれていますか? 

 

村岡「これからということを話すと、日本一のベンチャーヴィレッジを作ってみたいと思うんです。今は校舎だけの活用ですが、このグラウンドに40フィートコンテナを20台入れて、そこにも20社誘致する。今のテナントを合わせて30〜50の企業がここに立地していて、総勢300人くらいの人間が働いている。そういう場所にできるでしょ?向こう3年での実現を目指して構想を練っています。  革新的なベンチャーは東京からしか生まれないみたいな錯覚を根本から否定してみるというか。そもそも場所は関係なくて、別に渋谷のIT企業界隈からじゃなくってもベンチャーの流れは作れるんだよ。起業家が育つためには「ヒト、モノ、カネ」が必要だとすれば、起業家を支援するファンドも作るつもりです。東京や福岡のような都会に憧れた時代は、終わり。地方でもやれることを証明したい。 

 私自身の目標は食の世界ブランドをここから作り上げたい。マクドナルドの創設者レイクロックだってめちゃくちゃ田舎に1号店を作った。ケンタッキーなんて、ケンタッキー州でしょ(笑)。スターバックスもシアトルのはずれ、港町にあるパイクプレイスから始まりました。日本だけですよ、都会からしか”ブランド”が生まれないなんて未だに信じているのは。これからは地方の時代です。」 

 

自分で描いた未来図を、全力で信じる

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_そう言われると確かにそんな気もします。地方から世界を目指すということは可能なんでしょうか? 

 

村岡「まあでも、できるかできないかなんて結果論なので。日南の油津コーヒーがオープンしてちょうど3年になるんですが、あの朽ち果てたカフェを、少人数でお金を出し合ってリニューアルして、それが起点となってやがて町が変わっていきました。 油津商店街のカフェが再生できるなんて思っていた人が、あの頃何人いたか。ましてや、あの町が蘇ると信じた人は何人いたか。青島ビーチパークもプロジェクトスタートの時に関わらせて頂いていたのですが、あそこも今年3年目ですよね。  

 3年という時間は、そんなに短いものではなくて。その時間軸をイメージして未来図みたいなのものを信じられる人がいるかどうか。100パーセント「自分たちはできる」として信じる人がいて、それを支えようとする人たちがどれだけ集まるか。何度も繰り返しますが、まずは自分自身が起点となって責任を背負いつつ行動するということが大切だと思います。 

 

 ”できるかもしれないな”という空気が世の中を支配していくと、一気にその方向に向かって、そしてイメージは実現していく。例えば日南の木藤亮太くんのように、住む家を引き払って、油津に家族ごと移り住んで来て、その場所で24時間「木藤亮太を演じます」みたいな覚悟を背負った人がいたから上手くいく。街作りというのはそういうことですよ。 

責任を持って、しかし、失敗してもいいからやってみようよ。そういった、チャレンジに対して寛容な社会文化の醸成も大切なことかもしれませんね。 
 

 

__やはり覚悟というものがキーワードのようですね。カンブリア宮殿に出演されたとき、村上龍さんが”寿司屋の2代目がどうしたらパンケーキっていうものを思いつくのか考えれば考えるほどわからない”とおっしゃっていましたよね。経営者の方は感性やスピード感みたいなものが飛び抜けていると思うのですが、それもやはり”覚悟”があるから成り立っているのでしょうか? 

 

  

「いや、本当にそれだけだと思いますよ。覚悟を持って決断をする役職、それが仕事ですから経営者は。時には無茶だと思われても進まないといけない局面もやってきます。未来をイメージして、新しい道筋を創る、ということでもあります。どんなに難しくとも、組織を守るための判断を下すのは最後には一人ですから、時には孤独でもある。 

 うちの会社(一平)も、口蹄疫時には大きな影響を受けて傾きかけていた。僕は商店街で疫復興プロジェクトのリーダーをしていたんですが、その裏で自分の会社はすごく困窮していて。お金も回らないし、その後の3年間くらいはお金がないから領収書も切れなかったですよ(笑) 死んだ先代社長(父)から引き継いだのれんをここで絶ってしまうのかという、本当にギリギリのラインだった。でもそこで立ち止まって「困ったな、ダメかもしれないな」って終わってしまうのは違うと思いました。方法はなんでもいいんです。僕もそれで、仕方なくじゃないけど、とにかく必死に色んな方法を考えた。それで、九州パンケーキの開発にたどり着いたんです。とにかく”やってみること”そこからしか始まらない。 」 

 

__プレッシャーや不安に負けない方法というのはあるんですか?  
  

「よく聞かれるんだけどね。一国の大統領でも、小学生でも、不安の割合は一緒だと思うよ。”解消法”なんて、考えない。それはずっと、”共存"していくものだから」  

”プレッシャーと共存していく”私がその言葉の意味について考えていると、村岡さんのスマートフォンが鳴った。 聞きたいことはまだ山ほどあったが、時間切れのようだ。 

 村岡「まあとにかく、やってみればいいんだよ」 

まだまだ若い”私たち”を後押しするように、村岡さんが、いつもの笑顔で言った。 

彼が作ったこの街(コミュニティ)で、どれだけの未来図が形となっていくのだろうか。 

 

 
 

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村岡 浩司(むらおか こうじ) 

有限会社 一平 代表取締役(1970年3月26日 宮崎市生まれ) 

宮崎大宮高校卒業後、米国(COLORADO MESA UNIVERSITY/コロラド州)に留学。 

米国在学中に学生起業し、帰国後は小売卸業(輸入雑貨/アパレル)を営む。1999年より家業の寿司店「一平寿し」にて職人としての修行を積む。2004年 同社(一平)代表取締役(現職)に就任。「一平寿し」「タリーズコーヒー」「CORNER」をはじめ、多数の飲食店店舗を経営する一方、様々な地域貢献活動(まちづくり)、食を通じたコミュニティ活動にも取り組んでいる。 

2012年に地産プロダクト「九州パンケーキ」を発売開始。全国のスーパー、小売店(約600店舗)での販売を拡大し、今年1月には海外1号店となる「九州パンケーキカフェ台北富錦店(台湾)」をオープンすると予約の取れない人気店に。アジア全域でのグローバルブランドとしての展開を目指し奮闘中。 
 
『第1回地場もん国民大賞』金賞/『九州未来アワード』大賞/『料理マスターブランド』 受賞。カンブリア宮殿、夢職人、日経プラス10、日経ビジネス他 メディア出演多数。ローカルイノベーター55選/日本を元気にする88人(フォーブスJAPAN)に選出。 

 

  

 

 

インタビュアー:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙 

MUKASA-HUBのこれまでとこれから -前編-

 

 

私がMUKASA-HUBに到着すると、村岡さんがお客様を施設内に案内していた。 納期を控え完成にさしかかっている屋舎には、たくさんの施工業者が出入りしている。 少し埃っぽい暖かな風が吹く中で、その活気のある様子は、MUKASA-HUBという新たなコミュニティの鼓動のようにも感じられる。 

 

少し待った後に、腰をおろして話すのに適当な場所を探す。校舎裏へ回ると、広々としたグラウンドを見渡して、村岡さんがふいにこう言った。「3年で30社誘致して、全体で300人規模のベンチャーヴィレッジを作りたいんだ」。私は少し驚いてしまった。彼にとってもう、ここの完成はとっくに中間地点なのだ。持っていたペンと質問リストをしまって、彼の話に身を任せることにした。 

 

 

MUKASA-HUB連載企画 VOL.01  

MUKASA-HUBプロジェクト プロジェクトリーダー

有限会社一平/九州パンケーキ 代表取締役 村岡浩司さん に聞く

MUKASA-HUBのこれまでとこれから(前編)。

 

  

まちづくり」と向き合い続けて

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__そもそもは、九州パンケーキの配送センターのための物件を探していて、 

旧穆佐小学校に出会われたというお話でしたよね? 

 
 

村岡「そもそもの話をすると、僕は15年間、いろいろな場所でまちづくりに関わってきたわけで。  だから、何か新しい事業構想を組み立てる時でも、根っこは必ず地域創生に軸足がある。  

 地域をどう自分たちの事業で変えていくか、角度を少しだけ変えて、いかによくしていけるか。 その中で4年半前に九州パンケーキが生まれて、こうして全国に広がった。そして世界にチャレンジをしていく中で、 業容を拡大するためには起点となる場所が必要となってきた。これ(商品)を作っている人たちがどういうところで働いていて、どこで作られたものがどこから配送されて、どんな想いを持っているのか、そういうことを伝えるって大事だと思いませんか? 

 

 そんなことを考えている時に、ここに出会って。それで一目惚れして、買っちゃえって(笑)  

 

 僕が事業構想を組み立てるときには、 「生み出した利益をどう社会に循環していくか」、というところを常に根っことして具体的に持ち、その出口を見える化することが重要だと考えています。九州パンケーキを例に出すと、パンケーキミックスが売れることで、製造元である会社はもちろん、原材料を育てて供給してくださる九州各地の農家さん、製粉会社さん、ロジスティック、流通、小売...と、利益はつながっていく。そうした”ハッピーサークル”ができることで、地域の企業や人が継続的に潤っていく。僕は長年地域創生に向き合ってきましたが、この”循環する”ということが大事だと思うんです。 

 そして、やはり企業や地域の成長において一番大切な要素は「人」。キーとなる誰かがそこにいて、仲間が集い、みんなを巻き込んでどれだけ深くその事業や地域のことを考えるのか。 そういった起点となりうる人物をどれだけ大切に育てられるか。

 

  僕がこの学校をリノベーションすると決めた時、 多様な価値観と、主体的な行動思想を持った人たちが集まる場所にしようと考えました。私が社業で得た利益を地域に還流させる具体的なアクションがMUKASA-HUBです。つまり、やがて日本中、世界中で食される九州パンケーキをはじめとした弊社の事業で得た利益が地域を支えていく、そんな仕組みをここで完成させたい。」 
 

 

__拠点を作りたいと考えられて、そこから構想が膨らんで、という感じですか? 

 
 

村岡「まあ、買ってから1年半経ってるからね(笑)。初めて見てから2年以上。そう簡単に概念は生み出せないから、何度も何度も考えて、 一つのアイディアを検証し組み立てて、みたいな作業を途方もなく脳内で繰り返す。 投資して作っちゃったら崩せないから。 本当に一番やりたいことはなんなのか、それを見極めるために、それだけの時間がかかりました。」  

 

 

__大きい事業を始めるために、”何かを前に進めていく”ために。一番必要なものは何ですか? 

 
 

村岡「それは、最終的に”背負えるかどうか”、つまり自分が責任をとるかどうか。その一点のみです。 世の中PDCAとかって言うけど、変化の激しい時代に、 もう何十年も前にできたような経済用語に縛られているのはナンセンスだと思います。僕はPDCAじゃなくて、DCIがちょうどいい。つまり、DO(行動) が先で、CHECK(検証)そして、 IMPROVE(改善)このサイクルを繰り返す。 まずはDO(行動)。やると決めるたら行動することが先で、動くことで何らかの成果が付いてくる。 
 
 スピード感が半端ない成功した起業家たちは、こういう思考で事業を次々に立ち上げていく。 

 まずは「やってみよう!」と、ビジョンと共に覚悟をめることが先。やるって決まったら、行動して結果を恐れない。その分失敗も多いけれども、それを許容するベンチャー気質は大事だと思います。 もっとも、海外と比べたら僕ら日本人は心配性だから、”やる”か”やらない”かを決めるためのP(計画)を先にしちゃう。その結果8割くらいは”やらない”という選択をしてしまうわけだから、もったいないよね。 
 

 必要なのは、DCIのサイクルを繰り返していくこと。D(行動)するって決めた段階でP(計画)は絶対にするので、あまり難しく考えない。もちろん、それをやるためには、決断をする訓練が必要かもしれないね。決断の瞬発力を鍛える、というか。大学をどこにいくか?就職をどうするか?旅行先はどこを選ぶか?宿泊先は?今日の食事は?とか、僕からしたら全て同じ”決断”です。人生は全て決断の連続。だから決断の瞬発力を鍛えることで、DCIのサイクルは早くなって、人生は豊かになっていくと思うんです。 

 

 

__決断力って、磨けるものなのでしょうか?ここ高岡でやってみようと決断できた理由もお伺いしたいです。 

 

 

村岡「そうですね、決断の瞬発力は常に意識することで鍛錬できます。例えばレストランに入ってメニューを開いたら3秒で決める、カフェのカウンターで3秒でドリンクのオーダーを決める、これも立派な訓練です。迷いを排除して、判断のスピードを上げる訓練は日常でもできると思います。 

 
 ただ、ここでやろうと私が決めたのは、高岡町のこの空気とこの雰囲気ですかね。 

 

 裏の山には旧薩摩藩の東端の関所があったりして歴史的にも重要な場所なので。明治維新150周年の記念の年に、こうして出会ったのも運命かなと。九州から国を拓く。宮崎から世界を変える起業家を輩出する。そんな気概を持って取り組みたい。静かだし小川が流れてて、環境もいいでしょう(笑)意外と市内からも近いしね。」 

 

 

この街で、日本一のベンチャーヴィレッジを

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(後編へ続く)