宮日総合広告 代表取締役社長 大重好弘氏

 


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ーまずは貴社の概要からお教えください。
 
宮日総合広告は、宮崎日日新聞の関連会社です。
イベントの企画や紙媒体の広告の制作など、様々な広告を手がけています。新聞への掲載を主とした広告代理店ですね。
様々な広告媒体が生まれ、個人でも簡単に情報が発信できるようになった現代で、広告の新たな可能性を探るために、街市など地域活性化のためのイベントへは、積極的に協力しています。
 
地域活性化についてのお考えをお聞かせ下さい。
 
地域活性化というのは、そんなに単純な話ではなくて。商店街の活性化を考えれば、空き店舗をそのままにしておくより、意欲のある若い人たちに店舗を提供した方が活気が出ていいのは分かりきったこと。それでも土地の持ち主の方は、昔の価値観でお話されることが多いです。賑わっていた頃の、中央商店街というイメージが抜けないのかもしれません。これから何かにチャレンジしようとする人は、お金を持っていないでしょう。そのために機会を損失させてしまっているようにも感じますね。
イベントをしたいけど、補助金が出なくて、資金不足で、と。みんなそこに行き着くじゃない、やりたいことはあるのにお金はない。助成金補助金が出て、事業として取り組まれているものでも、賞をとったりだとか形に残るものでしか評価がされず、それを是とする人たちもいる。でも本質的な問題の解決にはなっていませんよね。そういった観点でも、根底の意識改革が必要かと。
まさにMUKASA-HUBがそうかもしれませんが、これだけ情報化が進んでいれば、”中央”であるという土地に対する価値感自体を見直すべきだと思います。
 
  

それぞれの感性と、培ってきた信頼をどう活かすか

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ー新聞を読む層に信頼できる情報を提供するために、一番力を入れている部分はどこですか?
 
やはり企画力と、どうアピールしていくかというところですね。
自分の持っている力を出していかないとなかなかものは売れないし、センスを磨いて、相手にどう提案するか。今どういう状態に置かれてるのか、宮崎でなにが起きているのか。感性をそれぞれがブラッシュアップしている、今はそういうところに来ていると思う。さらに今まで先輩方が培ってくれた新聞の企画力と信頼力を提案していって、お互いが、出してよかった、出させてもらってよかった、そういう広告を、ひいては関係性を構築したいと僕は思っています。黙ってて売れてばいいんだけどね(笑)すでにそういう時代ではなくなってきているから。
  
ーMUKASA-HUBについて、どんな印象をお持ちですか?
経済効率だけで考えると、まず減っていくのが学校です。しかしそうして生まれてしまった廃校が、一つの拠点として再生されるというのは、考え方として非常に賛同できます。若者のパワーを呼び込んで、定着していければいいですね。

  

新聞と新しい広告媒体、それぞれの力

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ーウェブのニュースと、活字のニュース、
やはり活字を読まれる方は情報の選別の仕方が違う気がします。
 
やはり本や活字を読む人は賢いと思います。その裏に潜んでいるなにかを読み取る力がある。
本を読む人はそもそも、自分が読むべきだと思うものを”選んで”読んでる。
でもウェブは誰かにとって都合のいい記事から先に流れて来るでしょう。見出しだけ開きたくようなものにして置いて、中身はそうでもないとか。そういうことではなく、正しい情報をきちんと正確に発信したい。それは本質的には僕は変わらないと思う。あぶく銭稼げればいいやというのは嫌なんです。
 
ー新聞がなくなることはあると思いますか?
 
ないと思うよ。電子媒体は非常時にも便利だし、だんだん電子媒体とセットにはなるだろうけど。新聞はどう頑張っても印刷して配るまでタイムラグが数時間はある。だからこそ広告もそうなの。スポンサーにきちんと確認をとれるし、新聞広告に信頼を置いて頂けると思う。新しいものを全く無視するということではなくて、即応性だったり、ヴィジュアル面はやはりウェブやSNSも優れているので、紙と融合した形で活かしたり。色々あるだろうけど。少なくとも軸足はこちら(新聞)だなと。
そして、地域活性化というのは僕らなかなかできないけども、MUKASA-HUBみたいな形で、地域の拠点となる、そしてある程度時間の流れの中でも持ち続けてくれるその地域の中で、そういうものを応援していきたいなと思っています。
 

だから何も東京に住まないと第一線では活躍できないということではなくて、そういう発想の元で地方でも、インフラやネット環境を整え、そして仕事があれば、若者も移り住んで来ることができます。

 
ーMUKASA-HUBに期待されているところはそういった部分でもあるんでしょうか?
 
そうですね。MUKASA-HUBがモデルケースになっていければ、いろんな形の拠点ができてくるのではと思っています。それは町の拠点でもそうだろうし、地域全体が活性化したらあそこって活性化してるよね、なんか元気あるよねって、なっていくでしょう?
初めは誰もが自己資金を使うのに抵抗があったり、即効性みたいなものを欲しがるけど、そういうことではない。はじめ温まるのはその一部だけだよ。でもそのともし火がポツポツと地道に増えていって、だんだんと大きな焚き火になる。そしたらその地域全体が温まっていくでしょう。そこでは考え方として、自分はこうだという考え方を持って、ぶつかって欲しいですね。当たらなかったらどうしようと考えるのではなく、当たらなくてもいいから、自分がバッターボックスに入ります!という若者が増えるといいですね。
 
ーそんな人たちの背中を押すのが私たちの仕事ですね。
お話、ありがとうございました。
 
 

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written by 倉本亜里沙 
 

【MUKASA-HUB 法人会員連載Vol.3インタビューコラム スパークジャパン株式会社 代表取締役社長 岡田 憲明氏】

「宮崎をアジアのシリコンバレーに」と語る岡田さんの目には確信の色以外見えない。

話を聞くうちにだんだんと、その言葉の意味が理解できる。 

相手の目線に合わせ、根気強く会話をするその姿勢は、 

ITやWEB業界に身を置く人の、顧客に対し真摯に向き合う姿勢を感じさせる。

企業のあり方という視点から、これからの宮崎について、お話を伺った。

  

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—貴社の概要をお願いします。 

 

 主に中小企業が、顧客を増やす・固定費を下げるなど、安定した企業活動をするためのご支援をさせて頂いています。具体的にはマーケティングシステム開発、顧客管理のクラウド活用 、ネットワークインフラ、Wi-Fiやサーバー・データセンターの管理などです。

 

—現在力を入れていることを教えてください。 

 

 現代社会において、人口減少は大きな課題です。当然働く人が減り、買う人も減る。もう一つは、購買者のニーズが多様化していること。昔だったらハタチになったら車を買ったり、お酒を飲むようになって。それから30歳になったら家を買う、とか。とてもシンプルでした。しかし現在ではハタチになったからってお酒を飲もう!という感じでもないし、家にしても買うものでなく借りるものだ、というタイプの人も増えています。そういった消費者ニーズが多様化しているというのも社会現象の一つだと思います。この問題を企業はよく考えて、様々なアプローチをしていかなくてはならない。買う人が減っていく、売る人も集まらないというところが課題ですね。既にある商品を軸にして、個人に合わせてアレンジした商材を作っていくということが大事です。

では宮崎ではどうかというと、いいものを作っていても、マーケットが小規模で終わっている企業もたくさんあるんです。そこで、陸の孤島であるということを逆手にとってみる。来にくいからこそ、県外に宮崎の商品を売っていく、その仕組みを作るお手伝いができないかと取り組んでいるところです。

 

お客様と共に歩み、成長する企業に

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—ニーズの多様化という課題に対して取り組まれていることがあれば、教えてください。

 

 顧客がなぜその商品を買いたいと思うに至ったのか、それぞれの背景をしっかりとリサーチすることです。家族構成や、金銭的価値観だったり、顧客の情報はたくさんあります。そういうものを売る側として、まだ研究しつくせていない気がしますね。私たちの企業も初めはそうだった。ではそこからどうしたかというと、顧客とのやりとりや情報を徹底的に集めて、管理するようにしました。お客様からどういった連絡があって、それに対してどんな対策をしたかということを全て記録しているので、営業や管理部など部署を問わず、一貫した対応サポートができるようになりました。そうすることで、お客様にも安心してご相談いただけるようになったかと思います。

こういった考え方を企業にお伝えしていくことに、今は一番力を入れています。

 

 またもう一つの課題として挙げるならば、人材確保・育成などです。エンジニア・マーケティング・管理職に関わらず、人を巻き込みながら新しいことに挑戦していく、そういった人を育てていきたいのですが、 直近の課題としては現在働いてくれているスタッフに、その能力を持って欲しいというところですね。 そのために人が育つための仕組みを作ろうとしています。入社して3ヶ月くらいは仕事はせず勉強をしてもらっています。

来年に向けて試験を受けてくれる人たちが20名近くいるので、ペーパーテストや適性検査、小論文、集団面接、それから2次面接も行ないます。 

インターンシップに来てもらって、会社の雰囲気や業務内容を見て頂き、興味を持ってくれた方に試験を受けて頂く流れです。

 

−最近の学生さんはしっかりしていますよね。

 

そうですね、ただそういった方たちはやはり県外に流れていってしまう気がします。大学生の県内就職率40%、でも高卒の県内就職率は60%なんですよ。40%と聞くと多いように感じますが、そもそも母数が少ない。 

宮崎大学公立大学南九州大学南九州短期大学社会保険福祉大学、宮崎産業経営大学、看護大学。看護大学からの県内就職率が高いように思います。 看護師だから、研修先にそのまま就職する流れですよね。保育士とかを育てている宮崎学園短期大学南九州短期大学も県内就職率が高い。 その分を引き算していくと、残って欲しい分野の才能やスキルを持った人材がどれだけ残ってくれているかということです。最終的には20%程度にとどまるのではないかと思います。 

 

情報の量で言えばやはり東京の方が多いです。ですから、宮崎の企業に勤めながら東京に行ける仕組みを作りたくて。 2、3年は東京で勉強する、そして宮崎に帰る。キャリアを形成する過程でも、東京の中間層と知り合い刺激をもらいながら働けるよう、柔軟に対応ができるといいと考えています。

県内の学生さんが県内で就職したいと思うような仕組みを作りたくて。だから私たちも大学生のインターンシップを積極的に採用している。

 

発展に必要な要素はやはり教育機関なんですよ。 

そういう意味では大学が企業ときちんとタイアップをして、企業も共に学生を育て、そこからちゃんと地元の企業に入る、そして地元の会社はその人材と一緒に新しいサービスを作って県外に売り出して外貨を稼ぐ。という循環を作りたいなと。

 

 

未来を担う人材と、新しいマーケットを開拓していく

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僕が目指しているのはやはりアメリカのシリコンバレーです。

そこに本社のある会社というとYahoo!GoogleAppleintelTwitterFacebookなど大手の企業はほとんどそこにあります。でも皆さんのイメージのようにビルが立ち並んでいるわけではないんですよ。 海と山があって、車がないと生活できない。そう考えたら、何もこの宮崎で、同じような会社を作れないとは思えない。 

 

そういった観点から言うとMUKASA-HUBはすごく適していて、車さえあれば、行きたい時に行って同じ思いを持った仲間が集って、そこでディスカッションしながら新しいサービスやアイディアが生まれていく。そういったものを僕らIT業界の人間は期待しているし、次のFacebookGoogleのようなITサービスが宮崎から誕生するためには、MUKASA-HUBのようなところでいろんな人たちがいろんな角度からディスカッションを重ねることが必要だと思います。 

 

—MUKASA-HUBをそういった施設にしていくために、どうしたらいいでしょうか?

 

やはりコンテンツの拡充が必須かと思います。 あそこに行けばこういう機会があるとか、最初は簡単なことでいいと思うんですよね。そして最終的にはやはりコミュニティが生まれていくことが大事だと思います。 

そのために、就職を控えている大学生と、企業との接地面として、MUKASA-HUBがあるというのも面白いですね。 学校の中に会社を持つことはできないけど、たまに出前授業みたいなことはできる。そして会社の中に学生さんがくるっていうのはインターンシップとか会社説明会しかないんですよ。  

学生のビジネスコンテストや企業向けセミナーに、場所を提供したりということをどんどんやられるといいのかなと思います。その流れでビジネスが生まれたりして、じゃああそこに週1集まろっか みたいな人たちも出てくるかもしれない。

大きなイベントをやるのではなくて、小さなイベントを継続していくことが大事なのかなと。九州パンケーキがここに至るまでの経緯みたいなものを村岡さんと一緒に話してもらう、みたいなイベントとかはできますよね。  そのイベントにどんな人たちが来るのかということを想定してやらないと。単に一回くる人たちを集めようというのではなくてどういう人たちが来るかな?ということを考えて、先に繋げていくことが大事だと思います。

 

—学生さんから育てようと思われている、理由をお伺いしてもいいですか?

 

宮崎の人口が減っていますが、出生率自体は低くはない。 それでもすごいスピードで人口が減っているのは若者が出て行っているからです。18歳までは宮崎で育っても、大学でかなりの数の若者が出て行ってしまう。 大学で県外から入って来ても、その人たちもまた卒業とともに県外へ戻ってしまいます。結局18歳から22歳の間でかなりの人口が流出してしまう。

そして一度県外で就職してまうと、よほどの理由がない限り戻ってこない。 

まず人口を減らさないこと、人口が1人でも増える方法を考えないといけない。 

となると給料を払わなくてはいけないので仕事を作らなくてはいけない。 でも宮崎にはない、そうすると外貨を稼ぐ、東京のマーケットからお金を持って来る。 

というような仕組みが必要で、じゃあそれを病院ができるかというとそれはできない。 北海道から病院には来ないじゃないですか。だから医療という仕事には限界がある、それはもちろん髪を切る仕事なんかにしても同じことが言える。 しかしモノ作りをしてそれを外に売るという仕事は、マーケットがある限りこちらで量を作ることができれば、どんどん売れるじゃないですか。今県内で10個売れていたところが県外までマーケットを広げれば、1,000個売れるかもしれない。 

現地の仕事ではできないこと、県外のマーケットから外貨を稼ぐというところで、ITの仕事は、スタッフがいればいくらでも受けられる、 それで人口を増やしたいなと思っていて。僕らの会社だけではなくて 一気に業界に関わる人口を3万人くらいにしたいんです。だからみんなやろうよって言って他の会社の人たちに声かけをしてもちろん僕ら経由の仕事だけじゃなくって、それぞれの会社が東京というマーケットを相手に、みんなで仕事をドッカンと持って来られれば、この業界全体の存在価値を高められます。“なんかITの仕事って面白そうよね”学生さんにも“なんか大人が面白そうにしてるな、この業界に入ってみたいな”と思うようになるといいな、と。

 

—では最後に、WEB、IT業界を志している学生さんに一言お願いします。 

 

WEB、ITの可能性は無限大です。面白いですよってことぐらいですかね(笑)。 

今の時代、何をするにしても、必ずネットで下調べをするでしょう。 ITに関わっていない人なんて、ほぼ存在しないんです。 

そのサービスを提供する側の人になってみませんか?ということが伝えたいですね。 プログラミングやりたいとか、デザインが、という小さな話ではなく。 世の中の仕組みが再構築されているこの時代に、そこに携わるのって面白いですよって、伝えたいです。

 

—ありがとうございました。

 

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Photo by ワタナベカズヒコ

Written by 倉本亜里沙

【MUKASA-HUB 法人会員連載Vol.2インタビューコラム 株式会社AVC放送開発 取締役 経営企画室室長大田幸寿氏】

AVC放送開発という社名を聞いたことがある県民は多いのではないかと想像する。

イメージは“放送関係全般を担っている会社”という感じ。

今日は何をしている会社なのか、とことん質問をしてみよう。

そんなことを考えながら、青島に繋がるバイパス道路沿いに建つ本社へと向かった。

 

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 ー貴社の概要をお教えください。

 弊社は1973年に現社長が設立しました。設立当初はデパートのアナウンステープの製作や、電光掲示板の製作などを主にしていたようです。その後関連する事業として、多岐にわたる分野のクリエイティブ製作を展開しています。ご存知いただいているかもしれませんが、イベントの企画運営・それに伴う音響照明などをオペレートしています。また最近ではテレビ・ラジオの広告代理店業務もさせて頂いております。

 

ー広告代理店は最近なんですね。意外でした。

  そうですね、最近と言っても10年ほど前のことではありますが。テレビCMや番組、ラジオ、プロモーションビデオの制作等をさせていただいています。

 

ー今一番力を入れているプロジェクトをお教えいただけますか?

  私はこの会社に入社して10年になるのですが、もともと地元のIT企業で働いていたので、ITが専門分野でした。その分野に関してはこれまで1人で細々とやっていたのですが、技術を連携させられるような業務を少しずつ作って、一昨年から、システム開発課という部署を立ち上げることができました。

現在は専門のスタッフに入ってもらって、音響映像機器の制御システムや関連する様々なシステムを開発しています。

 

ー例えばどういったシステムですか?

 私たちのお客様は、コンシューマー(消費者)というよりは企業や団体が多いです。いわゆるBtoBですね。

例えば、宮崎大学の視聴覚室です。大学の視聴覚室には、たくさんの映像機器や音響機器があります。操作も意外と分かりづらいですし、それぞれのリモコンを使って操作しなければいけません。その煩わしさを解消する為に、ワンタッチですべての機器を操作できるシステムを作りました。

また別の例を挙げると、ホテル内のレストランホール向けのシステムも開発しました。パーティーの際に、例えばお酒や料理を出すタイミングっていうのは、なかなか掴めないという声があって。

そこで、お客様が入るパーティー会場にカメラを、それに連動したモニターを厨房に設置、何箇所かあるカメラを、厨房から切り替えて見られるようにすることで、料理やドリンクをサーブするタイミングがより正確に測れるようになりました。

そういったシステムは、従来だと操作自体が難しいというハードルがありましたが、今回はその点もクリアするため、画面をタッチするだけで誰でも簡単に操作できるように作りました。

 

”笑顔を作る”をしっかりマネタイズする

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ー先ほどお客様の笑顔に繋がることが一番だという風におっしゃっていただいたのですが、地域創生といったところを意識して取り組まれているところはありますか?

 私たちは”笑顔を作ることを、お金に変える”ということを事業化してます。地域の方々の、感性に訴えるようなものを活発に展開していくことによって、またはそういったイベントのお手伝いをすることによって、まちに活気を取り戻していく。そういった側面から、地域貢献に繋がっていけばいいなと思っております。

 

 ー現在の課題はなんですか?

 ある程度歴史もあり、組織が大きくなると、次第に新しい流れについていけなくなってしまっていることも事実です。例えばSNSなどの、比較的新しいコンテンツの活用は、現在では必要不可欠なノウハウです。

これからなんとかして追随して、さらに弊社が持っている今まで築き上げてきた信用や経験を活かして、より相乗効果があるような形に持って行きたいなと思っています。

 

ー今後どういった改善策を考えられていますか?

 以前、弊社のスタッフがMUKASA-HUBのイベントに参加させていただいたことがありました。帰って来てからも”非常に面白かった”と言っていて。地方にいると、新しい情報や感覚に触れる機会がなかなかありません。私たちは仕事内容が仕事内容ですので、感性に訴え続けるものを作り続ける為には、やはり外部の情報を取り入れていく必要があります。いい刺激になるようなイベントやコンテンツが地元に増えていくと、すごく嬉しいですよね。そういったところからたくさんのアイディアが生まれるのではと思います。MUKASA-HUBには東京や、ゆくゆくは海外からもゲストを呼んで、面白いイベントをやっていってもらいたいですね。

 

 

私たちは基本的に、消費者の方と直接やりとりをすることはありませんし、行政や企業から依頼を受けて企画をすることがほとんどです。しかし、そのイベントに実際に来場するのは一般のお客様です。私たちは常にそこを意識して取り組んでいます。ただ、楽しませ方が昔とは違ってきている。今まで、映像といえばテレビしかありませんでしたが、今ではネットだったり、見せ方にも色々な方法があります。旧来のテレビでやっていた手法だけでは通用しなくなってきているので、そういったところではむしろ、MUKASA-HUBを利用されているような、若手ベンチャー方々の方が、研ぎ澄まされている側面もあるかと思います。これから地域の同業者や異業種の方との交流で、アイディアを生み出していけることに期待しています。

 

技術者の横軸を繋ぐハブになって欲しい

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—AVC放送開発さんは宮崎で、クリエイティブな部分でのコミュニティを作れている数少ない企業かと思います。

 そうですね。一時期はWEB上で放送局のような役割をできないかと考えた時期もありました。ですが、WEBの業界は、地域に制約されず、目的毎に細分化されている。自身が媒体になるのではなく、そこに向けてコンテンツを作り、そして買っていただく。その企業のお客様に対して満足していただけるものを生み出していく。そういった分野にこれから取り組んで行かなければと思います。そこにうちだけではなくて、新しい感性を持っているベンチャーや若手の方達と共に取り組んで行けることが理想かな、と。

以前であればITはIT、映像は映像と、まったく違う分野の仕事として細分化されていました。現在ではそれら全て連携させて一つの商品です。お客様のニーズもさらに複雑化していきます。MUKASA-HUBには、名前にあるように、そういった企業間でのHUBになっていただければと、期待しています。

 

 

前例にとらわれず、面白いと思うものを

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—最後に、WEB IT業界を志している宮崎の若者に何かメッセージをお願いします。

 先人にとらわれず、自分が面白いと思うことをやって欲しいと思います。私がそんなことを言うのは、おこがましいかもしれませんが(笑)日本のITやメディア業界を見ていてつくづく思うのは、海外での成功事例に追随しようとして似たようなものを作って失敗する、というフローを繰り返しているということ。前例にとらわれず、自分が「こんなものがあったら面白いな」と思うものを作って行けるようになると、日本のIT業界も活発になっていくのではないかと思っています。 

 

photo by ワタナベカズヒコ

written by 倉本亜里沙

 【MUKASA-HUB 法人会員連載Vol.1インタビューコラム 九州旅客鉄道株式会社 宮崎総合鉄道事業部部長 宮野原佳】

 

JR南宮崎駅の隣に、JR九州の鉄道事業部があることを知っている県民は、意外と少ない。駐車場に入り線路沿いの道を抜けると、新しく飫肥杉のあしらわれたエントランスが見えてくる。宮崎市と日南市を結ぶ観光列車、特急「海幸山幸」にも使用されている素材だ。階段を登り事務所をノックすると、宮野原さんが出迎えてくれた。ニコニコとチャーミングな笑顔が印象的だ。「フランクな感じで大丈夫ですよ」という宮野原さんのお言葉に甘えて、話題のカープ油津駅や今後の事業展開などのお話を伺った。

 

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—現在注力されている事業を教えてください。

 毎年この時季に取り組んでいるのが、プロ野球キャンプにあわせた鉄道の利用促進です。カープ油津駅というのも一つの事例ですが、日南線沿いだけでも3球団(カープジャイアンツ・ライオンズ)が来てくださっています。さらにホークス・オリックスと5球団の一軍がキャンプ地として毎年宮崎に来るんだから、かなりの強みですよね。JRもキャンプシーズンを盛り上げるお手伝いをと、2月はキャンペーンを開催しています。

—どういったキャンペーンですか?

2月はインスタグラムで「JR で宮崎キャンプに行こう!」 というキャンペーンを実施しています。宮崎駅コンコースに5球団選手のパネルとユニフォームを置いて、キャンプを紹介する特設コーナーを作っています。そこで写真を撮って、もう1枚キャンプ地の最寄駅での写真を一緒に投稿します。その際に「#(ハッシュタグ)JRで宮崎キャンプ」というハッシュタグをつけてもらえれば、抽選で20名に素敵なプレゼントを、というキャンペーンです。プレゼントは球団グッズや宮崎の特産品を用意しています。インスタグラムを使ってのキャンペーンは初めてなので、僕たちもどういう展開になるか、楽しみにしています。

 

カープを応援している日南の人たち”を応援したい

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カープ油津駅の取り組みについて教えてください。

カープ油津駅は2/4に誕生したのですが、これも前代未聞のプロジェクトで。

日南市天福球場カープのキャンプ地ですが、油津駅から歩いて5分くらいで行けるんです。今キャンプに来ている5球団の中で一番JRからアクセスがいいのがこのカープなんですよ。それなのに鉄道で行く人が少ない。やはりみなさん車で行かれるんですよね。2、3年前までは油津商店街まで行く人すらいなかった。キャンプに来られる方の多くは、車で来て駐車場からシャトルバスで天福球場まで行くのですが、キャンプ見学されたらまたバス・車でまっすぐ帰られる。街ナカに人が流れてこないというのも一つの課題でした。

去年は日南市がカープ一本道というのを作って、油津商店街と天福球場を一本の真っ赤な道で繋ぎました。その道のおかげで、天福球場からずいぶん商店街へ人が流れるようになった。それをヒントに今回、駅も赤く塗ればファンの方の聖地化するんじゃないかと。だって赤い駅ってまずないでしょ(笑)。さらに球団名を冠につける駅ももちろんないので。

前例のないことをするには、もちろんたくさんハードルがありました。ですが、1ヶ月弱の期間のキャンプのために、油津の方たちはカープ一本道を作った。油津はそうやってカープを365日応援しているし、まちづくりにも活かそうとしている。ですから、JR九州が“カープ”を応援するということではなく、“カープを応援している日南の人たち”を応援したい。そんな思いでこのプロジェクトを地域の人たちと一緒に取り組ませていただきました。油津の方たちはこの話をとても喜んでくれて、一緒になって盛り上げていただきました。地域が元気でないとJRも元気にならない。こうした取り組みで、少しでも地域が活性化して、JRをご利用いただけるようになればと思っています。

 

鉄道での”非日常”を演出する

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 —MUKASA-HUBを今後どう活用されていきたいか、お教えください。

 

MUKASA-HUBには若い方を中心に今もたくさんの方に来ていただいていますよね。あれだけの小学校を活用したコワーキングということで非常に話題性もある。MUKASA-HUBのことは、いろんな方が集まって新しいエネルギーもまた生まれて来るような、そういう場所に育っていって欲しいなという気持ちで応援しています。JR九州はやはり地域を応援していきたいですし、地域と一緒になって取り組んでいくということが大事だと僕は思っています。自分たちだけでやれることにはやっぱり限界がね…地域の人たちや、いろんなアイデアを持っている人たちと一緒になって協働していく。それが大事だと思うんですよ。いろんな事業をされる方と、広がりを持った取り組みをすることで、みんなで潤っていく。今はそういう社会じゃないかなと思っています。やはりそういう意味では村岡さんが一平という枠をある意味取り払って、色々な活動をされているのは非常に尊敬しているし、ぜひ応援したい。そこからいろんな事業や繋がりが生まれていく。いろんな話がそこからたくさん出てきて、宮崎が元気になっていけば嬉しいです。これからいろんなお仕事が一緒にできたらいいなと期待しています。

 

—地域貢献、地域創生についてのお考えがあればお教えください。

キャンプは2月で終わってしまいますが、僕たちはいろんな方法で鉄道の利用者を増やしていきたい。普段からお客様に乗っていただけるようにもっと勉強していかなくてはならないと思っています。宮崎は車の保有率が九州でも一番高い。それくらいもともと鉄道に乗る機会が少ない地域なので、日常的にお使いいただけるようにするためにも、まず鉄道の旅の楽しさを知っていただきたいと思います。鉄道の非日常の使い方を演出していくしかないのかなと。例えばワインや焼酎といったお酒を楽しむイベント列車とか。

それから現在、宮崎駅西口の開発を進めています。具体的な開発内容は検討中ですが、宮崎の街にとって一番いいものができるように考えていかなければと思っています。駅ビルだけで潤うということではなく、街ナカとの協働が必要です。宮崎駅のちょうど正面に、高千穂通りという大きな通りがあります。その横にも広島通りという1本の通りがあって。この2本の通りと、橘通りを結ぶエリアで一帯となって盛り上がっていけないかなと。商店街で言えばあーみーろーどがあって、広島があって若草通り、そして一番街となってるでしょ。商店街と僕たちがつくる駅ビルは、これから一緒にまちづくりをしていけるのではないかと、期待しています。僕たちはまちづくりの会社です。単純にビルを作るだけではなく、地域の皆さんと手を携えて、アイデアを出し合いながら、そこに”まち”をつくっていきたいです。

 

ー新しいまち、楽しみにしています。ありがとうございました。 

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 photo by ワタナベカズヒコ

written by 倉本亜里沙

タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

 クラシックなタリーズコーヒーの佇まいが残る、宮崎橘通り店。

カウンターのスポットに照らされて、足元の天然石タイルが濃紺に光っている。

「このタイルもさ、最初は全然ワックスが乗らなくって。」

そう語る目に、口元に、店への愛情が溢れている。オープンから15年経っても、色褪せない魅力。老舗寿司店を経営する会社が、かつてはベンチャーだったというタリーズコーヒージャパン(本部)と日本初となるFC契約を結び、街のコミュニティカフェに成長させるまでの軌跡について、話を聞いた。

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

 

  

−あの時を振り返って−

 

−鬼束さんは、オープン時の責任者だったのですよね。入社されたのはいつだったのですか?

 

鬼束「オープンの1年前、僕が23歳くらいの時です。村岡さんと街中でばったり会った時に「タリーズって知ってる?」と話があって。当時日本ではスターバックスの方が勢いがあって、自分自身はタリーズのことは知りませんでした。スペシャリティコーヒーという言葉もそこで初めて聞いて。それがタリーズとの出会いでした。」

 

−立ち上げを任されるという話を最初に聞いた時、どう感じましたか?

 

鬼束「できるかどうかは別として、純粋に、やってみたいと思いました。そんなチャンスを頂けるなら是非と。コーヒーはもちろん好きでしたが、飲食業が初めてだったので、固定観念なくやれたのが良かったのかもしれません。」

 

−オープン時に一番大変だったのはどんなところでしたか?

 

鬼束「その瞬間はもうほんとに記憶がないくらい(笑)走り抜きましたね。タリーズの理念である“その一杯に心を込める“、とにかくそのスタイルをどう伝えていくか。もちろん自分の研修に、東京で泊り込みのバリスタ修行をしました。

宮崎に戻って店舗アルバイトの募集をしたら、200人近く来たのかな?23歳の私が、全員と会って面接をして。そこから村岡さんと共に22人を選抜しました。」

 

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村岡「とにかく初めてのことで全てが手探り。開業準備室を作って採用したフェロー達の座学を行い、1日でも早くトレーニングに入らないといけないけれど店の内装工事がなかなか完成しない。店舗の内装が出来上がったのがオープンの1週間前で。当時こういうセルフスタイルのコーヒーショップが宮崎になかったから、フェローもイメージの持ちようがなくて。トレーニングの時間も限られているからとにかく大変だった。オープン直前になって、鬼束と“これでホントに大丈夫かな…?”みたいな話をしたのを覚えてるよ。」

 

鬼束「そうでしたね。さらにオープン当日最悪だったのが、台風が来たんですよ。しかも私、寝坊してしまって(笑)」

 

村岡「現場は騒然でしたよ。マネージャー(鬼束さん)が来んと。絶対逃げたよな?みたいになって(笑)」

 

鬼束「渋滞で車が全く進まないので、一度帰って車を置いて、土砂降りの中自転車で必死に向かってました(笑)今15年前を振り返ると、現場のことは全て僕に任せてくれていたので、村岡さんはヒヤヒヤしてたのではないかと思います。オープンしてからも、朝1時から2時3時まで店にいる、毎日その繰り返しで。大変ではあったのですが、学ぶこと、得るものもたくさんあった。そしてとにかく楽しかった。でも、そのすぐ後にバイクで事故をしてしまって。」

 

村岡「そうだったね。それでもうみんなすごく落ち込みました。オープンして最初の年末の忙しい時に彼がそういうことになって。高千穂通り店、都城店のオープンも間近に控えていた。そんな過密スケジュールの中で、“実はこういうことが起きて、でもみんなでやっていくしかないから、頑張ろうね”って話をスタッフ集めてしたんだけど、みんな何かこう…沈黙?誰からも返事がない、みたいな(笑)本当にハードでしたよ。

売り上げの面から見ても、初月に当時のタリーズコーヒージャパンが持っていた1ヶ月の売り上げ記録、1日あたりの売り上げ記録も塗り替えました。

イメージのないチームでやってるから、やはり次第に歪みも出てくる。それを修正する前にまた次の波がきてという繰り返しで、そこは随分悩んだところでした。1ヶ月経った頃、フェローに5項目くらいのアンケートに答えてもらって、“最後に一言“って項目があったんだけど、そのうちの1人の子が、“鬼束さんにもう少し愛情を持って接してもらいたいです、私にもコンアモーレ(愛を込めてという意味のフェローの合言葉)でお願いします”みたいなこと書いてて(笑)」

 

鬼束「いや、そうしたいのは山々だったんですよ(笑)。でも当時は、お金をいただいてコーヒーを提供しているということへの責任感が先に立ってしまって。1杯400円のコーヒーは決して安くないし、今の時代もうお弁当も買える。シェイク系のドリンクになると600円・700円とかの商品もあって。それで中途半端なものが来たら嫌だと思うから。あれから15年経って、自分としては次の目標をしっかり見据えてやる必要がある時期に来ているなと思っています。今はフェローもたくさん育っていて、任せられる人材もいる。未だに現場に入ることも多くて、走り続けている感じなんですけど、やはり私にとって、ここ(タリーズコーヒー宮崎橘通り店)が原点なんだなと思います。」

   

−カルチャーを体現するということ−

 

−今のようなカフェ文化が無かった時代に、宮崎でカフェを展開することに、難しさはなかったですか?


村岡「当時から新しいコーヒーカルチャーが、大きく育って行くってことはもう見えていたので。その中でタリーズというブランドが宮崎で生き残れるかどうかということは、もちろん一つの大きいカケではあるのだけれども、東京の本部やアメリカがどうとかいう前に、“宮崎のタリーズ”を絶対守るという精神性でやってきたつもりです。コーヒーカルチャーを自分たちがどう体現して行くか。僕は本当に、他のブランドとの比較とかはどうでもいいんです。カルチャーの真ん中にいる人は他のブランドのことなんて気にしてない。自分たちのコミュニティの形を店舗を通じて表現しようとしてるだけだから。

どういう場所が居心地がいいのかということは、時代とともに変わります。そこに時代の空気を読み解く感性が必要です。私にとってのタリーズ宮崎橘通り店は自分らしく“今の空気感”を表現できる場所。物理的な空間の話だけではなくて、そこに存在する人(お客様)の時間を、いかにデザインするか?が重要だと気づいた時から、「時間」「空間」「思い出」「感動」という4つのキーワードについて考え始めました。ずっと変わらずクラシックな空気の中で存在しているものももちろん否定はしないけど、一方で常に半歩先をどう行くのかということも考え続けることが大切なんです。」

 

−オープンしたての頃と今では、提供したいものが変化しているかと思うのですが、いかがですか?

 

村岡「もちろん、おいしいコーヒーを提供したい。でもその最高のコーヒーって味だけではないんだなっていうのに気づいて。色んな“時代のエッセンス”が入って本当の最高の一杯が生まれる。だから常に進化していたい。我々が一貫して表現したいものというのは、コミュ二ティそのものであって。一平が表現するタリーズはどういうものなのかということを考えるのをやめてしまうと、僕らがこのブランドをやっている意味がない。いわゆるナショナルブランドの中にありながら、独自性を持って進化したタリーズコーヒーが宮崎に存在するから面白いんじゃないかと思っています。」

 

−表現してきたもの、そして、少し先の風景− 

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−一平のタリーズが表現して来たものってどんなものなのですか?

 

村岡「どうなんだろう。毎年違うんですよね。当初と5年前と10年前と、表現したかったものは違う。今ここにあるタリーズは、数年前の僕が表現したかったものです。だから今の時代感の中ですごく居心地がいいとか、色あせないねって言ってもらえるのは嬉しいんだけど。それはなんかもう時代がそこに追いついてしまってるので、今度はまた少し違う、2年後の風景を表現できるような、今の僕らが考える新しい時代を感じる空間を作ってみたいとか、そういう思いはあります。」

 

−現場の方達は“店を守りたい”、当たり前にあるものとして“クオリティを保ちたい”とおっしゃっていました。今お二人のお話を伺いしたら、変わっていかなければいけないというふうに考えられているようで、少しギャップを感じたのですが、いかがですか?

 

鬼束「そうですね。変わっていく必要があるとは常々思っています。少し前までこの空間は非日常でした。でも今では日常になっていると思いませんか?そのステージにずっといるのは、違うんじゃないかと感じていて。変わらない日常の中で漫然と同じコーヒーを売るだけでよかったら、それならもう、コンビニで売っているコーヒーでいいじゃないですか。」

 

村岡「このコミュニティの中で半歩だけ先に行く少し先の風景を自分たちの顧客にちゃんと見せて行くことができるかどうかというのが、一平が表現するタリーズの “変わらない価値観”なんですよ。僕の表現したかった15年前の新しい価値観は、今ではもう日常になった。もうフェロー達もコーヒーのクオリティを語る必要ないじゃないですか。その点における顧客からの信頼はすでに深いものがある。みんなが伝統を守ろうとしてくれるのであれば、むしろこのコミュニティの中に何か小石を投げて、波紋を作るというか、そういった革新をやり続けることが僕らの表現するタリーズの日常性であり一平の伝統なんじゃないかな。あんまり難しく考えると楽しくないじゃない。フェロー達は楽しめばいいと思うんですよね。最初の大変さとか苦しみだとかは昔の話であって、黎明期に他にカフェもなくてまだコーヒーカルチャーが未熟な時代はもう過ぎ去った。今はマーケットも成熟してきて、いろんな形の多様性のあるカフェが生まれているので、もうマインドを解放していいんじゃないですかね。新しく変わり続けるコーヒーカルチャーの中で自由に表現をしていくというか。」

 

−では、“一杯のコーヒーにできること”とは、なんだと思われますか?

 

村岡「奥深いこと聞くね。変幻自在だね、コーヒーにできることは。」

鬼束「うーん…。僕はシンプルにきっかけの一つというか。この15年間で知り合った方々ばっかりなので。15年前からのお客様が未だに来てくださっていて。きっかけですかね、その人たちと出会えた。」

 

村岡「感謝とか言い始めたら、もうそれしかないじゃない。それ以外にないので。15年もやれるなんて、最初は思ってなかった。ただ、お客様や仲間を、驚かせ続けたいんですよね、やっぱり。僕らのやろうとしていることを感じて、そこに共鳴してくれる方たちが増えてくれると嬉しいなと思います。」

 

−変わったことはあるんですか?

 

鬼束「この15年で僕自身にもいろいろな変化があって。家族ができて、子供も2人、タリーズの使い方も変わって来ましたね。」

 

村岡「お客様と一緒に歳をとりたいって話をしたよね、昔。」

 

鬼束「15年経った今でも変わらず来てくれますもんね。タリーズだけではなくて、CORNERにもだし。本当にありがたいし、嬉しいです。」

 

村岡「“かっこいい“の評価基準が変わったかもしれないですね。昔は単純に内装を良くすればいい思ってたけれど、そうじゃないなと。15年前の自分が心地いい場所と、15年後の今の自分が心地いい場所が、重なっていれば最高じゃない?僕らが当時シアトルで見たタリーズは、大人な空気を漂わせるブランドで、すごくかっこよかった。どんどん新しいカフェが出てくる中で、新しいんだけど懐かしい、クラシックなんだけどエッジが効いていて、あのイメージをずっと求めている気がします。ここは日本のタリーズのクラシックミュージアムみたいなところで、当時日本にない家具や素材で創られている。それが日常の風景に溶け込んでいる宮崎はすごく面白いですよね。東京のタリーズファンがここに来た時に、もしかしたら斬新に思うかもしれない。」

 

鬼束「内装を見に来られた方も、かなりいらっしゃいましたよね。」

 

村岡「そうだね、当時はスターバックスが先行していて、タリーズコーヒーは数年後の'92年にシアトルで生まれた後発ブランドでした。'96年にスターバックスが東京に上陸して1年くらい遅れてタリーズが'97年にスタートして、共に進化を遂げていっているんですよね。当時の90年代のコーヒーカルチャーを一緒に作って来た、それはスターバックスだろうがタリーズだろうが関係ないんだけれども、そうゆう人たちがこの店に来た時に、ああ、この店はいいなって感じる空気感をずっと持っていたい。そして、今そうゆうお店であれることは、現場で頑張ってくれているフェロー達のおかげです。今では日本中に700店舗近くありますけれど、タリーズコーヒーのカルチャーを作ったのはこの店なので。時代を切り取るっていう部分では、他のお店に負けたくないですね。タリーズコーヒーが新しいコーヒーカルチャーを作っているんだっていう先進性を持ち続けたい。」

 

鬼束「シアトルの店、カッコよかったですね。」

村岡「カッコよかったよねー。」

 

−見に行かれたのは何年前だったのですか?

 

鬼束「ここがオープンした年ですね。本当に衝撃的でした。印象的だったのが、現地フェロー達のナチュラルな接客。」

 

村岡「そうそう。フレンドリーな、地域に溶け込んでいる感じ。シアトルでは店内売っている新聞と共にコーヒーとデニッシュ買って袋に入れてオフィスに行くんだけど、そんな日常を表現したくて、宮崎でも新聞を置くことにしました。カフェで電源を供給し始めたのもWi-Fi環境を整えたのも、うちが日本で最初なんですよ。そんなの今は、当たり前でしょ。それがない時代に、当たり前にやっていることが大事なのであって。じゃあ、次の時代の“当たり前”はなんだろう…みたいなことを、フェロー達と語り合いたいんですよ。実際それが数年後にそうなってたら、面白いじゃん。昔は、電源があると長居するからダメだ、とか言っていたよね。」

 

鬼束「なんか結構本部ともめたイメージがありますけどね(笑)」

 

村岡「たしかに!回転率が悪くなるからということで(笑)。でも、そんな経済合理性だけでは計れない街のインフラとしてのカフェの重要性が求められる時代を感じたから、僕らは独自で12年も前に整備導入したんだと思う。

でもまあ偉そうに言っても、カッコつけてもしょうがないですよね。なんとなく素敵な空間で、その場所がみんな大好きで、自分の指定席があって、あのおじさんいつもあそこに座っているとか。シアトルでは店内には靴磨きの椅子があって、夕方になると靴磨きのおじさん来ていました。さりげなく必要なものが揃っている、そうゆう空間を作りたいんですよね。」

 

鬼束「Wi-Fiもう12年前なんですね。早いですね。」

村岡「いや本当に。街の真ん中にある責任を僕らが自覚していたい。次の時代の街のシンボルにはなれないかもしれないけれど、ここがあってよかったなって思ってもらえるようなものを世の中に提案できるといいですよね。」

 

 

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タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary記念対談

有限会社一平代表 村岡浩司×取締役統括部長 鬼束文士

 

  

【編集後記】

連休初日、タリーズコーヒー宮崎橘通り店に1日張り付いて取材をした。常連さんや元スタッフ、出勤前のサラリーマン、受験生、お年寄り、カップル、家族連れ。こうして見ると、普段自分が客として使っていた時には見えなかった、“誰かの生活の一部”としての風景が顔を覗かせる。人々は口を揃えて“ここに来ると安心する“と言い、中には日に何度も訪れるという人もいる。そして彼らがこの店を語る笑顔には、なんのてらいもない。オープンから15周年を迎え、村岡さん、鬼束さんは共に、ここでまた”びっくり箱を開けたい”と考えている。これからも私たちの街のターミナルとして、“変わらずに変わり続けて”くれることに期待するばかりだ。

 

インタビュー・ライティング 倉本亜里沙

タリーズコーヒー宮崎橘通り店15th anniversary 記念動画】

www.youtube.com

Team MUKASA-HUB/

制作: Time and Air Partners 
撮影:ワタナベ カズヒコ

 

 

新しい時代のワークスタイルとは

MUKASA-HUBトークセッション2日目

ゲスト:ユーケーブリッジ大矢 健治さん

ノーツデザインオフィス藤原祐介さん

ファシリテーター:MUKASA-HUBプロジェクトリーダー村岡浩司

 

 

大矢健治 株式会社ユーケーブリッジ 代表

日本での料理修業を経て92年に単身で渡独。現地で料理を学びながら25歳でオーナーシェフとして独立起業、その後はドイツを拠点に和飲食グループや貿易事業を展開。ドイツでの和食文化啓蒙では20年を超える事業実績を通して最も幅広い顧客層に和食文化を浸透させた日本人の1人として、そして欧州各国にて2014年より解禁された日本産和牛を各国に啓蒙しているパイオニア的存在としても知られている。

ユーケーブリッジ Webサイト http://www.ukb.co.jp/index.html

 

藤原祐介 NOTES DESIGN OFFIC代表 クリエイティブディレクター

 ブランディングに特化した商業施設開発や店舗開発、CI開発、WEB戦略、マーケティング戦略を行う。企業やホテル、飲食、小売、商品、海外ブランドに至るまで、幅広い分野におけるブランディングに精通。

NOTES DESIGN OFFIC Webサイト http://www.notes-design.co.jp/

 

新しい時代のワークスタイルとは

 

村岡「今日のゲストはMUKASA-HUB入居者のお2方、ノーツデザインフィス藤原さんと、ユーケーブリッジの大矢さんです。まずは簡単に自己紹介をお願いします。」

 

大矢「初めまして。ドイツから来ました大矢と言います。現在はヨーロッパで、日本食のグループを経営しています。浩司さんとの出会いは、宮崎で起きた口蹄疫被害がきっかけでした。僕には都城で繁殖農家を営んでいる親戚がいて、当時被害が拡大していく中、都城は最後の砦と言われていていました。彼らが地元で戦っていることを知り、「宮崎と関わりを持たず、遠く離れたところで戦って来たが、このままでいいのだろうか?」と考えるようになりました。

ミュンヘンは食肉加工がとても有名で、オクトーバーフェストなどでも知られています。食肉加工の歴史は700年ほどあって、それに対して水産加工の歴史は100年もないんですよ。日本は全く逆で、水産加工の歴史は六百何十年あるのですが、食肉加工の歴史は100年ほどです。もしかしたら僕らが持っている食肉加工のノウハウを宮崎に持っていくことで、口蹄疫からもう一度立ち直る手伝いができるのではないかと考えました。それで宮崎の情報を集め始めて、浩司さんの活動を知ったんですよね。

 

ちょうど街市(まちいち)の第一回目の時宮崎に戻っていたので、見に行きました。そしたら屋台は出ているんですが、まだ認知度が低かったので、人もまばらでしか歩いていなくて。でもその角にCORNERという店を見つけました。浩司さん達がニコニコ笑いながら、夢を語ってるんですよ。今日はこうでも、いつか絶対に一番街を人で溢れかえるような場所にするんだっていう、確信みたいなものが見えて、僕にはCORNERという場所が輝いて見えました。この人だったらと思い、手紙とお土産だけ置いて、ドイツに戻りました。その後Twitterで連絡を取らせていただいて。」

村岡「そうそう、でもあのサプライズは、僕が女の人だったらころっといってましたよ(笑)本当に運命的な出会いだったなと思います。では続いて藤原さん、お願いします。」

 

藤原「初めまして、ノーツデザインオフィスの代表をしております、藤原と申します。事業家をデザインでサポートする仕事をしています。宮崎の気候と人柄、あと村岡さんにお会いしてその気概に男惚れをいたししまして、この場所に参加をさせていただいた次第です。」

 

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村岡「ありがとうございます。具体的には、どのような仕事をしていらっしゃるのですか?」

 

藤原「はい。具体例を挙げると、8月にボルボという自動車メーカーが、日本のマーケットを広げるため、青山に新しいショールームを作ります。そこで車の販売をするだけではなく、スウェーデンの文化・ボルボのブランド価値を体験してもらうためのコンセプトワークをしています。そのカフェは日本のどの事業者とコラボレーションすればより“伝わる“ものを作れるのか。そういったブランドシナジーを計画したりしています。あとは海外のブランドが日本に入って来るお手伝いなどもしていますね。」

 
世界とつなぐ”どこでもドア”

 

村岡「宮崎にいると、東京とか世界が遠く感じられることもあるかと思います。MUKASA-HUBにオフィスを持とうと思った理由を教えていただきたいです。」

 

大矢「ユーケーブリッジという会社は、僕と実の弟で立ち上げました。僕は食を中心に、弟は舞台のプロダクションを中心に活動をしています。彼は年間約500公演以上行なっていて、AKB48やソニーミュージック、ジャニーズなど、様々なアーティストと仕事をしてきました。

 

僕らは小さい頃から、将来は2人で一緒に、誰かを笑顔にしたり、幸せにできたらいいねという話をしていました。彼はエンタメ畑で、僕は食畑で、全然違うように見えますが、久しぶりに会ってみると、お互い話していることが全く一緒だったんですよ。食とエンターテイメントをもっと融合させて、人が考えないことやろうと、2人で会社を作りました。去年熊本の震災があった時にベルリンにミシュランシェフとか音楽家の人とか、世界中の大使を集めて復興ダイニングを開催したことで、チューニングがあって来たような感じがしていて。そして去年浩司さんからMUKASA-HUBのことを聞いて、どこでもドアの扉をここに作ろうかな、と。食の世界であれば、16カ国のネットワークに信頼ができる方々を胸を張って紹介できます。ここに入居されている方や、これからここの扉を叩く方と、共に作り上げていけるような存在になれればと思って入居しました。」

 

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村岡「九州とヨーロッパを繋げていく。地域のプロモーションとか、食材プロモーションって“個人では出来ない”ことなのではないか、という思い込みが地域にあって、それでみんな行政に乗っかってやっています。みんなで足並みをそろえてお願いします、という風潮があるんだけどそんなに世界は甘くないわけで。此処に“どこでもドア”があればいつでもノックして、相談したりできますよね。藤原さんはどうですか、宮崎にオフィスを作る意義を教えてください。」

 

藤原「どこでもドアの話と繋がるのですが、我々も世界各国とスカイプミーティングで仕事を進めているので、ある特定の場所である必然性がないというか、場所を選ばなくなった時代だなとすごく感じています。人が動くどこでもドアではなくて、見えるどこでもドアは世の中に増えて来ている。その中で、どこに身を置いて、どこを拠点として働いていくかということを考えた時に、私は妻が宮崎出身ということ、そして村岡さんのアツさと、あとこの空気感というか、流れている時間の感じに惹かれました。」

 

村岡「そうなんですよ。実際に高岡町に入ると急に空気が、酸素が、濃ゆくなる感じ(笑)。」

 

藤原「はい、妻のお義父さんに、“そんなに東京で活躍してるんだったら、宮崎でも何かやりなよ”と言われてはいたのですが、今回こうゆうご縁をいただいて、土地や施設ができたストーリーにもとても共感して。入居は即決でしたね。」

 

村岡「ありがとうございます。藤原さんが来てくれて、本当に嬉しいです。ワークスタイルの多様性という面から考えても、ノーツデザインさんはすごく面白いんですよね。色んなところにクリエイターがいたりして。今は何ヶ所くらいにいるんですか?」

 

藤原「今代官山・幕張・ホノルル・メルボルンと、全部で4箇所ですね。」

 

村岡「ホノルルにオフィスを作ったのは、自分が行きたいから?(笑)」

 

藤原「まあ少し公私混同している部分があるのは、認めます(笑)ただホノルルでもビックプロジェクトをたくさん動かしていて。あと、石垣島でリゾートホテルをやっているのですが、正直ホノルルと石垣島はあまり仕事する気になれない。空気感が働く気になれないんですよね。でもここだったら、ちょうどいい緊張感と、太陽が沈んだら家に帰ろうっていう気持ちで働ける感じがすごくするんですよ。健康的に働けそうだなと思っています。」

 

この時代のワークスタイル

 

村岡「コワーキングはおそらくこれから日本中に増えて行きますが、その概念自体があまり定まっていなかったように思います。先日、ロサンジェルス・サンフランシスコ、そしてシリコンバレーにも何十年かぶりに行く機会があって。そこでみたもので、ここの運用に反映した部分は、運営の時間です。朝から晩まで遅い時間まで開けて日曜日もやろうと思っていたのですが、シリコンバレーのコワーキングで日曜日空いているところは少ないんですよね。そもそも日曜にまで働くっておかしい。夕方まで働いて、それからの時間は地域でパーティーに参加してたりとか、ビジネスコンテストに行ったりとか、“人に会う時間に使うべき”という感覚だった。ヨーロッパではどうですか?コワーキングで人が集って仕事をする文化はありますか。」

 

大矢「EUが統合されてからはすごく増えましたね。それまでは一つの空間に当たり前にドイツ人しかいなかったのに、当たり前に様々な国の人たちが周りに現れ始めて。単純にそういう人たちが集まるスペースや、ゲストハウスも増えたように思います。」

 

村岡「MUKASA-HUBも、1、2年していくと、2ヶ国語3ヶ国語飛び交っていたり、半分くらい言語が英語になっていたり。そうゆう風になると本物になるかもしれないね。」

 

藤原「僕の知っている事業家で成功した人は、やはりそういう環境で種をもらったそうです。色んな国の人が集まって話してくる不便さとか、利便性、考え方・出会い・つながりがあって。そこから事業が生まれて、成功されている方もすごく多いので、そんな予感をこの場所にも感じています。」

 

村岡「東京にずっといたクリエイターたちが、この数年間、“東京じゃなくてもいいんじゃないか”と言い始めたのをたまに聞きます。マーケットとしては世界有数だけど、むしろ東京面白くないんじゃないかみたいなことを最近聞いたりするんですよね。なぜなんでしょうか?」

 

藤原「そうですね、そういう話はよく聞きます。東京における公園のあり方なども変わって来ていて、緑を求めているのがすごくよく分かる。地方に行きたがる人は増えてますね、週末疎開みたいな感じで。(笑)」

 

村岡「最近は若いITのベンチャー企業が、日南の油津商店街にも1年間で11社くらい入ったりして、地方の環境のいいところにサテライトオフィスを置くという流れがありますね。」

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藤原「私が感じていることは、自ら事業されている方は自分たちの意思で動くことができるので、拠点がどこであってもインフラが整っていれば仕事ができるんですよね。私は自分の会社のことを“スーパーお手伝いカンパニー“と呼んでいるのですが、我々のような仕事をしていると、クライアントによって時間軸が全く違います。それは時差ではなくて、会社や人ごとのスピード感。”すぐ“の時間が2秒の人もいれば来週の人もいる。クリエイターが距離を超えて仕事をする上で、そこが一番問題だなと思っていて。その中で、我々が今回このMUKASA-HUBに拠点を構えたのは、クライアントと繋がるための拠点はすでにあるので、さらにこの場所をセカンドハブとして使いたいと考えたからです。ここで過ごすしっかりとした豊かな時間をクリエイティブに当てて、ガチャガチャしたことは東京でやるっていう(笑)より質の高いものを作る体制としては非常にいいと思っています。」

 

村岡「“スーパーお手伝いカンパニー“面白いですね。相手のサービス、顧客の方の要求する時間軸にこちら側が合わせるというのは、できそうでできなかった斬新な考え方のような気がします。健治くんは、ドイツで生活していて移動する時間も多いので、時間の調整って難しいのではないですか?様々なクライアントを抱える仕事ですよね?行政が相手だったり、企業が相手だったり。」

 

大矢「そうですね、今は年間で300回くらい飛行機に乗っていますし、難しい部分もあります。僕はこのMUKASA-HUBをセラーだと考えています。今は西麻布に事務所があり、ミュンヘン・パリにも拠点を構えていますが、そこでキャッチしたものを繋いで、このセラーで熟成させたいんですよ。」

 

村岡「ワインセラーのように?いいですね。例えばここに100人くらい、違う事業領域で仕事をしている人間を集める。そこで議論をして、どういう掛け算ができるのか考える、そんなイベントもできたらいいですね。プロフェッショナル大矢健治のフィルターを通した、面白い企業もたくさん九州にあるわけなので。産地の人、加工の人、それを一堂に会して、どうやって“九州という一つの船”に乗って海外に発信していけるか。というのを考えることが必要になってくるのではと考えています。」

 

大矢「そうですね。以前フランスに、日本のイチゴ農家の方達が輸出の話を持ってこられたことがありました。彼らは“私たちのイチゴは世界一甘いんです”と仰っていて、確かにそのイチゴはとても甘く、美味しいのです。でも僕が紹介したフランスのイチゴ農家の方に食べて頂くと、 “確かにあなたの作ったイチゴは甘い。比べて私のイチゴは少し酸っぱいけれども、この甘酸っぱさの中に私たちの遺伝子が全て含まれているんですよ”と。子供達の時期からずっと食べ続けたその地域の味がある。食文化というものはそういうものなのですよね。」

 

 

村岡「自分たちは世界最高だと思っていても、場所が変わればその土地に根付いたものがありますからね。」

 

大矢「僕たちがこういう場所で話をすることで、一歩その新しい部分のエッセンスも考えに加えていただきたい。せっかく生産者として、クオリティの高いものを作っているのだから、それが無駄になってしまわないように。」

 

村岡「九州や宮崎にも、表に出る人・出ない人含めてですが、素晴らしいクリエイターの方がたくさんいます。そういう人が一堂に介して、みんなで九州全体のクリエイティブの質を上げていくことができればいいなと。ボトムアップというよりは上をどんどん引き上げていくことができないですかね?」

 

藤原「十分できるかと。現在進めている仕事の中で、サントリーの響というブランドのブランディングをしています。産地を回って生産者の想いを聞いていると、本当に日々大変な仕事に実直に、取り組まれていることが分かります。でもそれが消費者に伝わっていないことがとても多くて。今後、僕からもその“地域の想い”の部分を情報発信していきたいと思っています。」

 

村岡「これからここにいろんな活動家が集まってくると思います。年齢性別国籍問わず面白い空間にしていきたいので、是非みなさん、一緒に作っていきましょう。本日は本当に、ありがとうございました!」

 

 

 

ライティング:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙

“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていく

MUKASA-HUBレセプションパーティー

トークセッション1日目 

ゲスト:

CMディレクター今村直樹さん

クリエイティブディレクター田中淳一さん 

 ファシリテーター

MUKASA-HUBプロジェクトリーダー 村岡浩司 

 

今村直樹

1954年生まれ、岐阜県出身、CMディレクター。東北芸術工科大学映像学科教授。上智大学新聞学科卒業後、サン・アドなどの広告制作会社を経て、1988年に独立し、今村直樹事務所を設立。2002年よりCM制作者集団・ライブラリーを主宰している。サントリーリクルート資生堂花王、ライオン、JR東海JR東日本トヨタ、日産、メルセデスベンツ、味の素、ソニーパナソニックなど、数多くの企業のテレビコマーシャルを企画・演出してきた。ACC賞、ニューヨークADC 賞、消費者のためになった広告賞最優秀賞など受賞多数。最近の代表作に、第一生命・ダイワハウス協和発酵キリンジャパネットたかたなどの企業広告、マスターカードpricelessシリーズ、シャープアクオス住友生命などがある。2011年、早稲田大学大学院公共経営研究科を卒業し、地域活性化のための広告にも目を向けている。

https://www.facebook.com/naoki.imamura.12

田中淳一

宮崎県延岡市出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業、旭通信社(現ADK)入社。ほぼ全業種の大手企業で多くのキャンぺーンを担当し、2014年10月退社。同年、クリエイティブ・ブティックPOPS設立。現在、全国15都府県以上で自治体やローカル企業のブランディングやプロモーションを担う一方、大手企業やローカル企業のグローバルコミュニケーション、GOOD DESIGN EXHIBITION2015のクリエイティブ・ディレクション、長編コンテンツの脚本なども手がける。Spikes Asia、ADFEST、NY festival、BDA、short short film festival & Asia、ACC賞、日経広告賞、毎日広告デザイン賞、消費者のためになった広告コンクール、トロント国際映画祭公式上映など国内外受賞歴、国際広告祭の審査員歴、各地の大学や公共機関などでの講演も多数。

http://pops-inc.jp/about/

 

 

 

MUKASA-HUB連載企画 VOL.02  

今村直樹さん・田中淳一さんに聞く

“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていく
〜これからの地方ブランディングに求められること〜

 

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村岡「九州パンケーキというのは非常に特殊な成長の仕方をしてきたブランドかもしれません。実はこのブランドが生まれた時、現在のロゴや映像はできていませんでした。そのまま未完成で発売して、後からロゴマークを刷新したり映像を作りマーケットに発信していきました。面白い流れですよね。当時のことも振り返りながら、お二方を紹介したいと思います。」

 

 

今村「みなさんこんにちは。まずは村岡さんMUKASA-HUBスタートおめでとうございます。私は30年以上、CMデイレクターをしてきました。今は東北の山形にある東北芸術工科大学というところで映像学科の教授をしています。ご縁があって、九州パンケーキのCMの制作をさせていただきました。MUKASA-HUBの映像も、あと数日で第3弾が完成します。そちらの制作もお手伝いしました。よろしくお願いします。」

 

 

田中「村岡さんおめでとうございます。田中淳一といいます。僕は延岡出身で、しばらく東京の広告会社に勤めていました。2年程前に”ローカルソーシャルグローバル”がコンセプトの、“POPS”という会社を立ち上げ、全国の自治体のブランディングをしています。今村さんとは芸工大の非常勤で一緒に授業をさせていただいています。」

 

 

村岡「ありがとうございます。九州パンケーキを語る時に、今村直樹という人間なしでは語ることができません。このブランドは4年半前に誕生したのですが当時は売る場所がありませんでした。でも一度食べていただければ必ず気に入ってもらえると確信があったので、発売を先行して色々な方にお配りしました。その中の1人が今村監督だったんですね。僕ははっきり覚えているんですが、1月5日、夕方の6時くらいにすごく想いのこもった、長文のメールが届いていて。その文面の最後に、「CMを作りましょう」と書いてあったんです。すごいなぁとは思ったけれどとんでもない、CMなんか絶対に無理だと思いました。なぜなら、資金は開発で全て使い果たしてしまっていたからです。九州パンケーキは、口蹄疫新燃岳噴火の直後で、一番苦しい時期に生み出したものでした。しかし今村さんは、”オフコマーシャル”というものがあるということを教えてくださいました。今村さん、オフコマーシャルについて話していただけますか。」

 

-オフコマーシャルという考え方-

 

今村「はい。通常CMにはクライアントがいて、予算があって、テレビで放送する計画があって、広告全体のプランがあります。その流れをまるごと逆にしたのがオフコマーシャルだと僕は説明しています。僕がいいと思うクライアントを見つけて、予算の面も含め相談しながら作っていく。ちょうどその頃にYoutubeが登場してきたので、なんだ、タダでオンエアできるじゃん!ってなって(笑)それに映像には制作に関わった人の気持ちを一つにしていく力があるので、そうゆうところも含めて、オフコマーシャルは面白い。最初は東京の小さなファッションメーカーから初めて、2本目にシャボン玉石鹸という北九州無添加石鹸、3番目に長野県小布施町にある一市村酒造場のCMを作りました。全く予算のないところから資金を捻出してもらったり、あとから支払ってもらったり。僕が出したこともありましたね。そして4本目に始めることになったのが九州パンケーキという経緯でした。」

 

村岡「そうですね。当然もう発売はしていたのですが、監督からこれを全国で売るにはロゴが野暮ったいし力がないので、パッケージを思い切って変えませんか?と提案されたんですよ。無茶苦茶ですよね?(笑)資金のない中でやりくりして、すでにラベルも作っていたので少し考えましたが、どうせやるからにはということで、日高英輝さんに依頼して、素敵なロゴを作って頂き、すべて刷新しました。そこから1年半かけて九州中を旅して、このコマーシャルを作りました。

 

https://youtu.be/Z1vmuM3P-4I

Happy Pancake編

 

https://youtu.be/eoWr-DE1FHA

インタビュー編

 

村岡「僕はなにか壁に当たった時、分岐点に立った時に、このCMを見てイメージをすり合わせて行くようにしています。実はこのオフィス(MUKASA-HUB)を作ろうと思ったのも、以前の少し手狭なオフィスでスタッフが配送作業をしている風景を見て、違和感を感じてのことでした。つまり、九州パンケーキ的な働き方を社内にも浸透させたいと。先にイメージ(映像)を作って、僕はそこに存在する世界観に合わせていく。そうゆう不思議な育ち方をしたブランドです。田中さんは東京の第一線で仕事をしながら地域でも活動されていますが、どういった想い・考え方で地元に戻っていらしたんですか?」

 

-これからの地方ブランディングに求められること-

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田中「長い間東京で映像を作ってきて、“もう僕以外の人たちでいいんではないのか“という想いが強くなりました。僕は地方のために映像を作って、その場所で必要とされる存在でいたいな、と。色々なところを回って制作をしていて、今は非常に精神的には健全な状態で仕事ができています。」

村岡「たくさん作品がある中で、今日は田中さんの地元、延岡の東九州バスク化構想Special Movieを見ていただきたいと思います。」

 

https://youtu.be/Bby4uxHu6sk

東九州バスク化構想 Special Movie

 

 

村岡「いやぁ、延岡に行きたくなりますよね。プロ同士が聞けないだろうから聞いちゃいますけど、今村さんはこのMovie、どう見られますか?」

今村「僕は最近ムービーデザインという言い方しているのですが。映像を作ることもデザインですが、ただ面白いということだけではなくて、ロゴへのこだわりや“バスク化“という言葉を見つけてきたところが素晴らしい。延岡は海の幸・山の幸が豊かなところなのですが、それをバスク化という言葉で方向づけて、全体を巧みにデザインしている。演出がどうっていうところもあるとは思うのですが全体のプランニングがやっぱり巧みですよね。」

 

村岡「田中さん、今回改めてふるさとを見て感じたことはありましたか?」

 

田中「そうですね。“食でやりたい“と延岡市の方からは言われていたのですが、延岡、食、有名だっけ…みたいな(笑)でも調べてみたら実はたくさんあって。しかし食で町興しというのは、前例も多いので難しいんですね。色々考えて、海の上にレストランを作ったり、他ではできないことにチャレンジしました。実はこの仕掛け(いかだ)も宮崎の看板制作会社にお願いしたのですが、地元の人を巻き込んでいくと、そこにノウハウが蓄積されていくんですよね。そういうことも改めて実感できました。」

 

村岡「最近、地域ブランディングとかそうゆう言葉を耳にする機会が増えているかと思いますが、そのことについてどうお考えですか?」

 

田中「そうですね、再生回数100万回とか、ネットでの再生回数を気にされる方が多いと思うんですが、一番気をつけているのは、地元の人が悲しい気持ちになる動画は作らないということです。どんなに目立っても面白くても、単なる話題だけになってはダメ。そこは大事にしたいなと思っています。」

 

今村「行政中心に映像で発信するのは1種のブームと言ってもいいかもしれません。そこで危惧することが2つあって、1つが継続性です。行政の担当者は3年ごとに変わってしまう。バスク化計画という旗を上げて形にしていくには、10年20年かかると思うのですが、それできちんと継続していけるのか?というところです。あとは、再生回数を指標にするのは危険だということ。僕はたった一人でも、感動してくれた方がいればいいと思っています。100万人にではなく、1人の心にしっかり響く映像を作りたいなと。一番身近な厳しい批評をする人に“何このCM?”っていわれたらダメだと思うんですよね。ものがたくさん売れるということより、身近な人が喜んでくれるとかそういうことをもっと大事にしていかないと。数字、アクセス数が上がればいいという風潮はどうなんだろうって思いますね。」

 

村岡「一人の心に刺さることが大事だということは今村さんにずっと言われていて。本当に数ある今村作品の中で、僕自身も作品であり九州パンケーキも作品だと勝手に思っています。このCMの曲はアンサリーさんという東京のシンガーが、映像からイメージして作ってくれました。これが我々のカフェで流れていて、お客様も1時間後には口ずさみながらかえるくらい、たくさん聞かれるようになっていて。今村さんが作っていただいた九州パンケーキの映像は、お店に来てくださるお客様の潜在意識に刺さる、そうゆう作品になってくれたんじゃないかなと思います。」

 

今村「嬉しいです。村岡さんはこのCMが九州パンケーキを育てたとおっしゃいますが、僕は逆だと思っています。九州パンケーキが生まれた時点でもう全部完成していたと言っても過言ではない。九州7県の素材で作るという考え方がもう全てなんですよね。僕のプランニングでもなんでもなくて、村岡さんの商品の発想なので、そのまま素直に形にしていけばいいと考えながら作りました。」

 

村岡「ありがとうございます。客観的に考えていくと面白いのは、〇〇連携とか6次化とか地域商品を作ろうとする時にどうしたら東京で売れるか?ということを先に考えがちなんですよね。でもそうではなくて、ストーリーをどう表現したいのかという部分に主軸を置いて考えるのが正しい。うちの場合は母体が飲食なので、食卓で笑顔の時間を作りたいというシンプルな思いがあって。そこからどうやってマーケットに届けていくかという手段を当初は僕らは持ち得ていませんでした。が、これからはここにいるみなさんにも更に道を開いていただけると期待しています。

せっかくなので、質問を受け付けたいと思います。てげツーの長友さん、何かありませんか?』

 

長友まさ美さん「ありがとうございます。九州から世界にこんな面白いことが生まれるんじゃないか、というアイデアがあったら是非教えてください。」

 

今村「はい、一つは、地域の映像を作る時に、いいものを作るために東京のスタッフと地域に乗り込んできていたのですが、これからはできるだけ地域の人の力を活用していこうというところです。そうゆう意味では今回Time&Air Partnersさんと映像を作っているし、今後もご一緒できたらいいなと思っています。それから、村岡さんと九州ブランド研究所という構想を練っていて(笑)九州パンケーキのようなブランドを素晴らしいアイデアで生み出そうとしている若い人、ベテランの人、いると思うんですよね。おっ!て思うものがあれば、それを育てる、映像を作る、ロゴを作る、パッケージデザイン一緒に考える。なんでもいいので、東京でやって来たスキルをもっと地域の志のある人のために活用する、一緒に作っていける、そうゆう基地みたいなものを作りたいという思いがあります。」

田中「日本には、各地に現地に根ざしたものづくりのスキルもあるし伝統もあります。そこに足りないのは物語作りで。“ものづくり”は一流だけれども、それを“ものがたり“として”魅せる”ことがあまり上手じゃなかった。客観的に見ると“九州パンケーキ”はもう、名前自体がストーリーなんですよね。“ものづくり“と“ものがたりづくり“を一緒に考えていくことが、これからの地方には非常に求められていく部分なのではないかなと思っています。僕らのような職(クリエイテイブデイレクター)の人間が、地方に出向くのも限界があるので、地元にもっとそういった人材が生まれるべきです。アートディレクターやコピーライターもそうですし、そこからクリエイテイブデイレクターが出てくるというようなことが必要です。MUKASA-HUBからもそうゆうきっかけが生まれてくると思いますので、もちろんお手伝いしますし、ここが基地になってクリエーターが生まれていく場所になってほしいなというふうに思っています。この場所が、宮崎が発展する一つのきっかけになるんじゃないかなと思います。」

村岡「ありがとうございます。ところで九州ブランド研究所(注)、今日からスタートということでよろしいですか?」

今村「もちろんです!」

村岡「CM業界のレジェント、クリエイテイブの巨匠、お2方が揃って、ここにいらっしゃる方たちだけでも、本当に面白いものが生まれるんじゃないかなと思います。人とか地域とか物とかいろんなものが生まれる予感がしますね。引き続きMUKASA-HUBを、よろしくお願いします!」

 

 


注:九州ブランド研究所

CMディレクター今村直樹さんが主催する、九州の良いもの、こと、人、地域を元気にする「映像を軸とするクリエイティブの力で、地域の課題を解決する」プロジェクト構想。

 

 

 

 

ライティング:MUKASA-HUBレセプショニスト兼ブックスタッフ 倉本亜里沙